世界遺産・姫路城内から伝説の「木橋」遺構 YouTubeで公開へ

AI要約

姫路市の発掘調査で、江戸時代の姫路城で使われた木橋の橋台跡が確認された。初めて木橋がかかっていたことを示す遺構が見つかった。

調査は市道の整備工事に伴い実施され、鳥居先門外御橋の橋台が発見された。鳥居先門は祭礼時にのみ開かれた門だった。

発掘された橋台には木橋を支える部材を差し込む穴や石材の加工痕などが残されており、当時の様子がイメージできる重要な成果となった。

江戸時代の姫路城で播磨国総社の祭礼時に使われた「鳥居先門」外側にかかっていた木橋の橋台跡が、姫路市の発掘調査で確認された。市埋蔵文化財センターが29日発表した。城内で木橋がかかっていたことを示す明確な遺構が発見されたのは初めてとしている。

調査は市道の整備工事に伴い今年1~3月、鳥居先門があったとされる同市元塩町の80平方メートルの範囲で実施された。

見つかったのは、姫路城を囲んでいた3重の堀のうち、「中堀」を渡るための「鳥居先門外御橋」の橋台。江戸時代には、祭礼時にのみ開いたとされる鳥居先門を通るために使われていたとされる。橋台は石垣造りで、堀側に向かって「コ」の字型に石垣が張り出していた。

中堀は、明治45年から国道2号の開通(昭和7年)までに段階的に埋め立てられ、木橋もこの間に撤去されたと考えられており、橋台が姿を現したのは少なくとも約90年ぶり。

木橋を支える部材を差し込む「ほぞ穴」とみられる穴(高さ19センチ、幅16センチ、奥行き10センチ)や、石材の角を整える加工痕も発見された。同センターは「古写真などと比較して当時の姿を考えることができる非常に重要な成果。橋台の下にある石垣も、橋が機能していた当時のものと考えられ、大変貴重だ」としている。

工期の関係で現地説明会は行わず、すでに橋台や石垣は埋め戻して地中保存されている。6月4日から同センター1階で調査結果のパネル展示が行われるほか、解説動画が市公式YouTube(ユーチューブ)で公開される。