偏見、#Metoo、その先を目指して。ハリウッドで挑戦し続ける原動力とは。

AI要約

香里菜知子さんは、日本からロサンゼルスに渡り、20年以上にわたり女優として活動している。

幼い頃からテレビドラマに興味を持ち、父親の影響で映画に触れて育った。

高校卒業旅行中に映画プロデューサーから女優にならないかと声をかけられ、女優を目指す決意を固めた。

偏見、#Metoo、その先を目指して。ハリウッドで挑戦し続ける原動力とは。

映画やドラマでの活躍を夢見る人たちが、世界中から集まるハリウッド。厳しい競争に勝ち抜ける人は一握りのなか、この地を拠点に約20年活動を続けている日本人女性がいます。東京で生まれ育ち、大学卒業後にロサンゼルスに渡った香里菜知子(かりな・ともこ)さんです。言葉や文化の壁がある中、役者として挑戦を続ける原動力とは。ロサンゼルス遊学中に香里菜さんと知り合った筆者が、これまでの歩みとともに聞きました。

「幼い頃から、テレビドラマの登場人物になりきることが好きでした」。

小さいころは、姉と一緒に作ったお芝居を家族の前で披露するような子供だったそうです。香里菜さんの父は、大学時代に京都の撮影所で働いた経験もあるそう。その影響で、香里菜さんは幼い頃から多くの映画にふれます。「父親の解説付きで、ウィリアム・ワイラー監督(『嵐ケ丘』や『ローマの休日』『ベンハー』など)やジョン・フォードの西部劇を日曜洋画劇場などテレビでよくみていました」

ハリウッドは遠くから憧れる夢の世界でした。しかし、転機となったのは、高校の卒業旅行で訪れたロサンゼルス。ハリウッドのカフェにいたところ、映画プロデューサーに声をかけられたのです。シルベスタ・スタローン主演の映画などを手がけたという男性に、香里菜さんは「君は女優? ミュージックビデオに出演しない?」と尋ねられたのです。

「女優は選ばれし特別な人というイメージがあったので、自分と関連づけて考えるなんて思いもしなかった。でも、私が女優に見えたならば、もしかしたらなれるかもしれない」。この時に声をかけられた一言を機に、香里菜さんは女優を目指す決意を固めました。

「今となっては分かります。ロサンゼルスには本当に多くの俳優志望者が集まり、映画関係者の目にとまるような店で働いています。だからあちこちに俳優志望がいても、全く不自然じゃない。あの一言ですっかり勘違いしちゃいました」