「みんなは歩いているのに私は歩けない」難病で幼い時から車いす生活を送る少女 自身の体を受け入れ立ち向かう原動力とは

AI要約

静岡県在住の高校2年生、佐野夢果さんは、筋力の低下が起こる難病で電動車いすを利用している。

佐野さんは病気に順応する姿勢や日々の適応力、幼少期からの病気との向き合い方について語っている。

両親からの支援や積極的な姿勢が、佐野さんの活動に対する原動力となっている。

「みんなは歩いているのに私は歩けない」難病で幼い時から車いす生活を送る少女 自身の体を受け入れ立ち向かう原動力とは

静岡県在住の高校2年生、佐野夢果さん。佐野さんは徐々に筋力の低下が起こる難病のため、電動車いすで日常生活を送っています。

そんな佐野さんですが、講演やイベントの企画などさまざまなことに挑戦しています。今回は、これまでの佐野さんの経験や心境、障がいがありながらも活動していくことへの思いを聞きました。

佐野さんは、徐々に筋力の低下などが起こる難病を患っています。主な症状としては筋力低下が一番大きく、筋力があまりないため重いものは持てません。また疲れやすいことです。

徐々に筋力の低下していく…ということに対して、佐野さんは幼いころに比べたら低下しているという実感はあるといいます。

「個人的にはそのときの状況に合わせて、体の扱い方を習得していった感覚」と話す佐野さん。

「そのときのコンディションも影響するかもしれませんが、前は持てていたコップが持てなくなることがあります。でも、1週間後にはまた持てた!みたいなことも結構あって。ただ、個人的にはだんだんと体もそれに順応したというか、進化したような体感があって。イメージとしては重力に体をなじませるような…」

「あんまり伝わらないですよね」と佐野さんは笑います。

また、日々の生活がハードなため、それに合わせて無理やり体が適応していった気がしていると話していました。

自分の病気を意識したのは保育園のころでした。

「みんなは歩いているのに私は歩けないなぁ」と周りとの違いはぼんやり感じていた佐野さん。しかし幼いころから歩けなかったため、佐野さんにとってはそれが当たり前で、特別病気に対して何かを感じたという当時の記憶はないといいます。

ただ、歩けないことによって起きる日々のいろいろな出来事に対しては、悲しんだり楽しかったりとさまざまな心境だったと振り返ります。

ご両親からは病気についてはっきり伝えられた記憶はなく、病名の診断がついたのは佐野さんがまだ幼いときでした。当時のことは覚えておらず、徐々に自分で理解していった感じだといいます。

「私の病気が判明したとき、両親はいろいろな感情だっただろうなぁとは思います。ただ両親は、いろいろなところに積極的に連れていってくれるタイプで『とりあえずやってみよう!』とできるできないではなく、まず私がやりたいことは全部一緒にやろうとしてくれましたね」

「きっとたくさん悩んだり考えたりはしていたとは思いますが、両親が病気のことを悲観している様子がなかったことや、いろいろなことに積極的に挑戦させてくれたことは今の私にも大きく繋がっていると感じますし、原動力となっています。普段は恥ずかしくていえないですけどね(笑)感謝しています」と両親への思いを語ってくれました。