古い緑色のアルファロメオ・スパイダーがやってきた|『Octane』UKスタッフの愛車日記

AI要約

エヴァンが1974年アルファロメオ・スパイダーを手に入れる経緯や修理への取り組みが描かれている。

アルファの状態やエンジントラブルから修理までの過程が詳細に描かれており、愛車への愛情が感じられる。

エヴァンが家族との新たな旅をスパイダーと共に始めることで、新たな章が刻まれる。

古い緑色のアルファロメオ・スパイダーがやってきた|『Octane』UKスタッフの愛車日記

『Octane』UKスタッフによる愛車レポート。今回は、エヴァンが1974年アルファロメオ・スパイダーを手に入れた話をお届けする。

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どんなことも、噂話から始まるものだ。ロサンゼルスのメカニックのベニーが言う。「エドがアルファを何台も売りに出してるって聞いたかい?74年と79年だって」

私は「へえ、そうなんだ」と、冷静を装って言った。そして、1週間が過ぎた。私は、74年のアルファがいいかと思っている。その車は完璧ではないけれど、それでいい。メカニックのベニーもいてくれるし、地元の板金業者も手伝ってくれることだし。

エドが車をショップに運んできた。私はポケットに現金を入れ、ボディパネルを軽く叩きながら車の周りを歩き回った。詰め物はなく、ノーズに小さな隆起があり、かなり色あせたメタフレークグリーンに塗られていて、1970年代のジョージ・バリスのカスタムのようだった。オリジナルの色は、ヴェルデ・イングレーゼAR219で、濃厚なフォレストグリーンだった。リアバンパーはぶつけられていたが、ステンレス製なのでクロームのやり直しの必要はない。

内装はすでに完成しており、シートとドアパネルは問題なかった。しかも、ヘッドレストにまで正しいヒートステッチが施されている。車体はまっすぐで、ドアは挟み込みなどなくきちんと閉まる。ただ、見たことのないものがひとつあった。それは、1970年代のオリジナルのグラスファイバー製ハードトップだ。エンジンはオリジナルの2.0リッター、スピカ製インジェクション、排気ガス浄化装置なし、走行距離は9万7000マイルだった。

「このあたりを走ってみたら?」とエドが言う。見慣れたアルファのシートに腰を下ろし、細いウッドリムのハンドルに指をかけ、シートベルトを締めてキーに手を伸ばす。一発でエンジンがかかる。そして私は、ゆっくりと通りに出る。その瞬間、私は知るべきことをすべて知った。スプリングはダメ、ショックもダメ、リアのプロペラシャフトのユニバーサルジョイントが曲がっていて、トレーリングアームのブッシュは交換が必要だった。ギアを変速してみたが、ギアボックスは良好で、カリカリというシンクロもない。

ショップに戻ると、「どう思う?」と聞かれた。少し手を加える必要はあるが、50年も前の車に小言を言うつもりはない。持参した現金がポケットから出ていきそうになったが、私の予算では十分ではなかったため、お互いに時間を置いて考えてみることにした。

一週間かけて私たちはじっくり考えた。費用に関する妥協点を見つけるには十分だった。エドは、新品のサスペンションキットも用意ができていると言ってくれた。だから、うまくいくはずだった。

金曜日の朝、ショップで会う約束をした。タクシーで到着したが、そこにエドはいなかった。すると20分後、アルファのエンジンがかからない、とメッセージが届いた。バッテリーが上がっていたのだ。するとベニーが、エンジンが浸水した場合に備えて、ジャンプスターターキットと新しいスパークプラグをくれた。彼の車で向かうと、ボンネットを上げたエドが通りにいた。私は、ジャンプスターターを繋ぎ、エンジン始動を試みたが、何も起きない。私は言った。「エド、ベニーからプラグをもらったから交換してみよう」

新しいプラグに交換しキーをひねると、今度はちゃんとエンジンがかかり、安定したアイドリングまで進んだ。ベニーのショップに戻って、私たちは現金と所有権を交換し、私は晴れて1974年スパイダーのオーナーになった。ベニーは、バッテリーチャージャーを付け、インジェクションセンサーを交換し、アイドリングを調整してくれた。そして私たちは一緒にサンドイッチを食べた。

サンドイッチを食べながら、世界を変えることや、古い緑色のアルファを修理することについてあれこれ話した。これから数週間かけて車を分解し、エンジンとギアボックスを取り出すことになる。サスペンションもリフレッシュする。それが終わったら、3軒先の板金業者でベアメタルに再塗装を施す。エンジンを取り出した状態で、各所を点検する。リング、バルブガイドやシーリングも含めてだ。塗装が終わったら、再度組み立てを始める。もちろん、これはすべて理論上の話、“机上の空論”だ。

時計を見ると、金曜日の午後1時半だった。ロサンゼルスはひどい渋滞に悩まされているので、家に帰る最初のドライブが本当のテストになるだろう。どの辺りまで止まらず走れるだろうか?最低でも1時間はかかるはずだ。私は街を抜け、ビバリーヒルズを抜け、ロデオドライブを通り、ビバリーヒルズホテル前のサンセットドライブまで行き、西に向かい、丘の間を曲がりながらベルエアーまで近道した。クリント・イーストウッドの自宅前を通り過ぎ、ジェニファー・アニストンの家も通り過ぎ、マルホランドドライブへ向かう。この車は絶好調だった。水温は約82℃をキープしているし、油圧も問題ない。無理はさせていない。1時間と15分後、私は家に着いた。ただ、万が一ジャンプスタートが必要な場合に備え、車道に出しておくことにした。

家までの帰り道、私は空想にふけっていた。「水曜日には板金業者の見積をもらうんだ。雨が降るみたいだな。ワイパーをチェックしたほうがいいかもしれない。妻にも言っておかないとな…」

数時間後に帰宅した妻との最初の会話はこんな感じだった。

「夕食はどこに行く?」「車は見た?!」「うん」

夕食は寿司を食べに行った。こうして、新たな旅が始まったのだ

文:Evan Klein