謎多き九州古代史の象徴、筑紫君磐井 乱の結末は日本書紀と矛盾する異説も

AI要約

筑紫君磐井を象徴する岩戸山古墳を訪れる。

磐井の反乱や継体天皇との関係、継体天皇の今城塚古墳への関連を探る。

豪族の外交ルートや耳飾りの歴史を通じ、磐井の乱後の動向を考察する。

八女市の童男山古墳や内部石室の驚き、磐井の乱の結末に関する異説を知る。

九州歴史資料館の動画や古墳を通して磐井の乱の実像を探る。著書「アクセサリーの考古学」も参考に。

謎多き九州古代史の象徴、筑紫君磐井 乱の結末は日本書紀と矛盾する異説も

 その小山の主は、九州の古代史の象徴と言っていい。大豪族・筑紫君磐井(つくしのきみいわい)。彼が生前に築いたとされる福岡県八女市の岩戸山古墳(国史跡)を訪ねた。

 墳丘長約135メートル、北部九州最大の前方後円墳は6世紀前半に造られた。後円部の横に「別区」という特徴的な平地が広がり、石像の復元品が置いてある。

 石像は「石人(せきじん)・石馬(せきば)」と呼ばれ、隣接する岩戸山歴史文化交流館「いわいの郷」に実物が並ぶ。武人や武具、馬をかたどった凝灰岩製の遺物は、粘土製の埴輪(はにわ)とは明らかに異質。風化してもなお威圧感がある。

 東西に延びる八女丘陵に約300基の古墳が連なった。岩戸山の西約4キロ、同県広川町に最古級の前方後円墳が残る。岩戸山よりやや小さい石人山(せきじんさん)古墳(国史跡)。5世紀前半に築かれ、被葬者は磐井の祖父の世代とみられる。今なお武装石人が墓を見守り、立体的な装飾を施した家形石棺も見学可能。九州独自の古墳文化を肌で感じられる。

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 磐井は527年、朝鮮半島の新羅出兵を企てる大和政権に反旗を翻した。1年半続いた磐井の乱。日本書紀は、継体天皇が九州に軍を派遣し、御井郡(現在の福岡県久留米市)で磐井を斬り殺したと記す。

 研究者が継体天皇の墓と考えるのが大阪府高槻市の今城塚古墳(国史跡)だ。墳丘長約180メートルの前方後円墳は、大阪湾に注ぐ淀川流域に位置する。周りに無数の埴輪が整然と並び、墓の大きさに圧倒される。

 古墳に納められた家形石棺が興味深い。熊本で産出される阿蘇ピンク石(馬門(まかど)石)が使われており、磐井の勢力圏の近くから運ばれた。岩戸山と今城塚は相似形との指摘もあり、交流館の伊崎俊秋館長(考古学)は「かつて磐井と継体は良好な関係だった」とみる。

 「磐井は大和に出仕していた」。九州歴史資料館の酒井芳司学芸員(日本古代史)は文献史学の立場から補う。近江(現在の滋賀県)で生まれた継体天皇。日本書紀によると、継体天皇が朝鮮半島へ送り出した同郷の近江毛野臣(おうみのけぬのおみ)は、磐井と同じ釜の飯を食べた仲だった。やはり磐井と継体天皇には縁がある。

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 岩戸山歴史文化交流館に戻ろう。展示されている黄金の「垂飾(すいしょく)付耳飾(みみかざり)」が磐井の乱後の動向を物語る。山梔子(クチナシ)形の装飾が愛らしい。岩戸山の東約4キロ、八女市の立山山8号墳で出土した。

 磐井の時代、朝鮮半島南部では新羅、百済、大加耶が争った。「装身具の特徴から、それぞれの社会の違いが分かる」と国立歴史民俗博物館の高田貫太教授(考古学)。山梔子は大加耶系の特徴を示すという。

 高田教授によると、5世紀後半、大加耶系の装身具は有明海・八代海沿岸に分布し、八女地域や玄界灘沿岸では見当たらない。新羅との関係が深い後者に広がるのは6世紀前半。乱の後、息子の葛子(くずこ)が献上した玄界灘域の糟屋屯倉(みやけ)が、大和政権の九州支配の拠点となった点も見落とせない。

 北部九州の豪族は独自の外交ルートを有したが、「磐井の力が強くなりすぎた」と高田教授。大和政権は百済、大加耶を重視し、外交権を一元化した。まばゆい耳飾りは、激しい外交権争いの物証なのだ。

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 八女丘陵の東端にある八女市の童男山(どうなんざん)古墳へ。6世紀後半から末頃にできた全長48メートルの円墳。磐井の子孫は大和政権に屈した後も八女地域に残った。

 石室内に入ると、組み上げられた巨石の迫力に驚く。岩戸山古墳の内部はどうか。過去の電機探査で石室は存在するとみられるが、交流館の伊崎館長は「発掘調査は先でいい。まずは良好な状態で後世に残したい」と思いを語る。

 実は、磐井の乱の結末には異説がある。地誌「筑後国風土記」の逸文(後世の引用文)は、磐井が戦わず豊前国に逃れたと伝えるのだ。正史である日本書紀との矛盾。九州歴史資料館の酒井学芸員は「子孫の影響力が大きく、配慮した記述ではないか」と話す。

 真相はいかに。機会をあらためて豊前地域を訪ねたい。

 (文・野村大輔、イラスト・河辺瑞樹)

 ■■メモ■■ 九州歴史資料館は公式ユーチューブチャンネルで動画「筑紫君磐井の乱の実像に迫る」を配信している。福岡県内の同時期の古墳を通して、磐井の乱の実相を探る企画。本年度は「南筑後編」「宗像地域編」「京都平野編」の3本を新たに公開した。高田貫太教授の著書「アクセサリーの考古学-倭と古代朝鮮の交渉史」(吉川弘文館)は1980円。