国どうしの戦争による分断に抗うために。「好き」を分かち合い、仲間をつないでいく

AI要約

おじさんがクルミを割りながら、クルミ好きな人に悪い人はいないと言うエピソード。

私が傷つけるのとは別に、ひとつのことに好きなことや悪いことを見いだす過程。

日常の中で、人々が自分たちの価値観や線引きを見つける様子。

国どうしの戦争による分断に抗うために。「好き」を分かち合い、仲間をつないでいく

「私はあなたたちを見るとき、気をつけてることがあるの。ジャン=フランソワが『フランス人』じゃなく、ジルケが『ドイツ人』じゃなく、ユリが『日本人』じゃないところに、その人の本質があるのがわかってるから。」

国名という大きな主語によって見えなくなっているもの。その枠組みを取り払うには、本当に大切なものと人を守るためには、いったい何ができるだろう?

ロシア文学者の奈倉有里さんのエッセイ集『文化の脱走兵』の刊行を記念して、本書に収録されている「クルミ世界の住人」を特別にお届けします。

小学校3年生のころ、同級生の家に遊びに行った。その子の家は当時住んでいた横浜の住宅街でちいさな商店を営んでいた。いまではチェーン店の進出でほとんどなくなってしまった、自動販売機に毛が生えたようなのどかな商店。

ちょうどお店が休みの日だったのだと思う。シャッターを閉めた薄暗いガレージで、その子のお父さんがクルミを割っていた。クルミ割り器というものを見たのは、それが初めてだった。

おじさんはペンチのようなものに殻つきのクルミを挟んで、カタン、また挟んで、カタン、と割っていく。クルミはびっくりするほどたくさんあった。おじさんは私を見て「おっ、そこの友達、クルミ好きか」と訊く。

とくに嫌いではないので頷くと、「そうか、食べなさい食べなさい。まだまだ、いくらでも割るからな」と喜んでごちそうしてくれた。そして「クルミが好きな人に悪い人はいない!」と言って笑った。割りたてのクルミはくたっとやわらかくて甘くて、おいしい。

それからもおじさんは私が遊びに行くと、お店が忙しそうなときでもこちらを振り返って、「おっ、クルミの好きな子だね」と、仲間を見つけたみたいに嬉しそうな顔をするのだった。私はそのことに、なんだかものすごい衝撃を受けた。

世のなかには、私という人をまったく知らないのに、クルミというちいさな食べものだけを理由に自分をこんなに思いきり肯定してくれる人がいるのか。じゃあもし「好きじゃない」って言ってたらどうなっていたんだろう。悲しそうな顔をしただろうか。がっかりして、私を仲間だとは思ってくれなくなっていたんだろうか。

そのころ──10歳くらいのとき、ほとんどの物事に「いい」「悪い」という価値観がついてまわることを知り、それが面白くなった時期があった。人を傷つけるのは悪いこと。じっくり考えるのはいいこと。草木を大切にするのはきっといいこと。もしも、地面に流したらずっと木の根っこが苦しむような毒を撒いたら……それはたぶん、すごく悪いこと。

いいとか悪いとかとは別に、「好きなこと」もある。そのとき私が住んでいた町は昔は海で、ちいさな貝の化石がたくさん出る地層があって、たまたま当時おとなりに住んでいた友達のお父さんが地質学の先生だったから、一緒にその地層から化石を洗いだす作業をした。じーっと見てようやく貝だとわかるような大昔の貝をひとつひとつピンセットでつまんで標本を作っていく。昔のことをこうやって丁寧に調べるのは、たぶんいいこと。

クルミの話に驚いたのは、ちょうどそんな時期だったからなのだろう。だって、私がクルミを好きなことで誰かにいいことをしてるとは思えないし、逆に誰かを傷つけるとも思えない。食べただけじゃ歴史を解き明かすような発見もない。クルミ好きな人にはほんとうに悪い人がいないのかどうかも……自信がない。でもあの子のお父さんは、心から嬉しそうな顔をしていた。

いま思えばなにか理由があったのかもしれない。クルミ農家の出身とか、好きな映画や本の影響とか……。でもあのときは、クルミを理由に自分が肯定されたのに、クルミどころではなかった。なんとも思っていなかったものをたまたま好きだと言ったことによって、自分を「いい」存在だと思ってもらえるのが不思議だった。

もう少し大きくなると、それはそんなに不思議なことじゃなくなった。本来よくも悪くもないはずのことに、いいか悪いか、仲間かそうじゃないかの線引きを持ち出すのは、案外よくあることなのだ。

同じクラスの女の子2人がなにやら盛り上がっていたと思ったら、私の知らない男性アイドルグループの写真を持ってきて、「ねえねえ、この人とこの人、どっちがかっこいい?」と訊く。ほとんど同じ顔に見えたけれど、「うーん、こっち?」と片方を指すと、1人が喜んで「やったー、さすがなっくちゃん、わかってるねえ」と私を仲間扱いし、もう1人が「えー」と不満げな顔をする。

私の中には存在しない線引きが、この2人にとっては白黒を分ける大事なものなのだ。そういうことがあるたびに、「ああ、これはこの人にとってのクルミなんだな」と思うようになった。