墓問題は、長男が家を継ぐ「家制度」と強く結びついている。各家庭が墓を持ったのはせいぜい明治以降、離檀はお寺との話し合いで円満に

AI要約

墓じまいを経験した3人の話を通じて、お墓に関する現代の課題が浮かび上がる。

中村さんは、お寺の永代供養墓に父の遺骨を納めた経緯を語り、お墓選びの難しさや家族の気持ちの葛藤を明らかにする。

お墓を持つことの思い入れや、お墓の伝統について考察し、お寺による永代供養墓設置の意義を探る。

墓問題は、長男が家を継ぐ「家制度」と強く結びついている。各家庭が墓を持ったのはせいぜい明治以降、離檀はお寺との話し合いで円満に

墓じまいを経験した人はなぜ決断し、どのような段階を踏んだのだろうか。「お墓」に翻弄された3人の話を聞いてみると、今の時代の課題が見えてきた

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◆お寺ときちんと話し合うのが大事

東京都出身の中村紀子さん(59歳)は、3年前に亡くなった実父の遺骨を、嫁ぎ先であるお寺の永代供養墓に葬った。

「父は20年ほど前から自分で霊園などを調べ、将来自分が納まる場所を探していました。でも、なかなかいいところが見つからなかったんです」

若い頃に関西地方から東京に出てきて、生活基盤も東京にあるため、今さら実家のお墓に入る選択はないというのが父親の考えだったという。そうこうするうちに、娘である中村さんが、東海地方にあるお寺の跡継ぎと結婚することになった。

「父の死後、最初はうちのお寺に1つお墓を建てようかと思ったのですが……。将来的に誰がお墓を見るのかと考えるとね。父の子は私と妹の2人ですし。結局、永代供養墓に納めることになりました。もちろん、ほかの檀家さんと同じ費用を納めましたよ」

中村さんの実母はまだ存命だ。いずれ夫と同じ合祀墓に入ることに納得していると思っていた。しかし何かの折に、「本当は実家のお墓に入りたかった」と妹にこぼしたそうだ。

「母が生まれたのは石川県の村で、生家のお墓もその地にあります。ただ母は他家に嫁いだわけですから、檀家ではありません。お寺の制度的に、そのお墓に入るのは難しい。それに母方の先祖は人数が多かったため、もういっぱいで入る場所がないのです」

母の気持ちを知ると心苦しいが、仕方ない。墓地管理の当事者でもある中村さんは、そもそも日本のお墓の伝統とはなんなのか、自分なりに調べてみた。

「1つの家庭で1つお墓を持つようになったのは、せいぜい明治時代以降なんですよ。自分でお墓を持てるようになった結果、思い入れも強くなってきた。その思い入れのために、墓じまい──正式には『閉眼(へいげん)』と言いますが──に対して罪悪感を抱く方もいるようですね。

でも、この先、お寺にとっても個人にとってもいいお墓とは何かと考えた時、やはりお寺が永代供養墓を設けるのは時代の必然なのでしょうね……」