男性が作り上げた“少女像”への抵抗 ロリータファッションの起源と現在地

AI要約

ロリータファッションは、1980年代の原宿が舞台となり、西洋の影響を受けながら日本独自の進化を遂げたファッションスタイルである。

ロリータファッションのルーツは、西洋への憧れが色濃く漂う1970年代初頭の東京に遡り、ヴィジュアル系バンドやインディーズブランドの影響を受けている。

2000年代に入ると、映画やミュージシャン、アニメなどを通じて、ゴスロリスタイルが台頭し、ロリータファッションはよりデコラティブなスタイルへと進化していった。

男性が作り上げた“少女像”への抵抗 ロリータファッションの起源と現在地

 ロココやバロック、ヴィクトリアンといった西洋のスタイルを引用しながら、日本独自の発展を遂げてきたファッションスタイル「ロリータファッション」。パニエを重ねて大きく膨らませたスカートに、レースやフリルなど“少女らしい”装飾を組み合わせたスタイルが特徴だが、その起源とは一体何なのだろうか? 昭和女子大学環境デザイン学科で教鞭を執るファッション研究者の菊田琢也氏に聞くと、発祥は1980年代の原宿に遡るという。それから40年以上にわたって、日本独自の進化を続けてきた背景や、令和を迎え変化した“今”のロリータファッションについて、菊田氏の解説とともに考察する。

 菊田氏によると、ロリータファッションのルーツは、1970年代の原宿に遡る。1970年代初頭の東京は、パリやロンドンといった西洋の街並みの影響を色濃く受け、渋谷や原宿でも、西洋的な都市空間を目指した街づくりがされていた。そうして街全体に漂っていた“西洋への憧れ”が、ロリータファッションの誕生に大きく寄与したと考えられているのだという。たとえば、当時刊行された雑誌「アンアン(anan)」では、白人系のモデルが、現在のロリータファッションに通じるロマンティックなルックを纏って表紙を飾る姿が確認できる。

 1980年代に入ると、漠然とした西洋への憧れが、ファッションスタイルとして確立されるようになる。菊田氏曰く、ロリータファッションをはじめとした当時のサブカルシーンに大きな影響を与えたのが、ミルクや「シャーリー・テンプル(Shirley Temple)」「ジェーン・マープル(Jane Marple)」「アツキ・オオニシ(ATUSKI ONISHI)」などのインディーズブランドや、「オリーブ(Olive)」や「宝島」といった若者のファッションやサブカルチャーをフィーチャーした雑誌、そして、ニューウェーブを筆頭とする音楽シーンだという。たとえば、音楽レーベル「ナゴムレコード」に所属していた電気グルーヴの前身バンド 人生や、同レーベルの主宰者であるKERAがボーカルを務める有頂天など、いわゆる「ヴィジュアル系」の走りとされているバンドのファンのファッションスタイルが、ロリータの礎だと考えられている。

「彼らのファンの女の子たちは「ナゴムギャル」と呼ばれ、ロンドンのニューウェーブ系のファッションを参照しつつ、ミルクやジェーン・マープルなどのブランドを組み合わせて、独自のスタイルを作り上げていきました。また、戸川純とそのファンの存在も外せません。彼女たちのファッションは岡崎京子の漫画にも描かれていますが、雑誌「キューティー(CUTiE)」などのスナップを通して世間に広がっていきました。その後、1997年に創刊された「フルーツ(FRUiTS)」のスナップでも確認できるように、自然発生的にロリータチックなストリートファッションが生まれていったのではないでしょうか。(菊田氏)」

 つまり、ロリータとは元来、ファッション好きの若者がクラブに出かける時のファッションスタイルだったとも言える。

 2000年代に入ると、ロリータを題材とした映画「下妻物語」(2004年)が公開。サブカルファッションとしてコアな層の支持を得ていたロリータの認知度をマスに押し上げるきっかけとなり、同時期には退廃的なイメージをロリータとかけ合わせた黒を基調としたスタイル「ゴシック&ロリータ(以下、ゴスロリ)」も生まれた。ヴィジュアル系バンド マリスミゼル(MALICE MIZER)のギタリスト Manaが1999年に立ち上げ、元祖ゴスロリブランドとの呼び声も高い「モワ・メーム・モワティエ(Moi-meme-Moitie)」の登場を皮切りに、黒を基調としたゴスロリスタイルが支持を集めるようになる。その後、アニソン歌手として知られる宝野アリカの音楽ユニット「ALI PROJECT」や漫画「デスノート(DEATH NOTE)」の登場人物 弥海砂、アニメ「ローゼンメイデン」などを通じて、ゴスロリファッションがアニメ好きの支持を集めるようになり、ロリータはよりデコラティブなスタイルへと進化していった。