星新一の人生に学ぶ「生きるのが面倒くさい人」の理想の働き方

AI要約

星新一の生い立ちや回避性パーソナリティ障害に焦点を当てつつ、彼の独自の作風や成功に至る経緯を紹介。

幼少期から孤独を感じ、感情を表現せずに成長した星新一が、後に独創的なアイデアを生かしたショートショートを生み出す。

彼の生い立ちと作風がどのように関連しているかを探りながら、回避性パーソナリティ障害を持つ人々の生き方について考察。

星新一の人生に学ぶ「生きるのが面倒くさい人」の理想の働き方

 ショートショートで知られる作家・星新一さんの半生から回避性パーソナリティ障害の生き方の一つを学ぶことができる。精神科医で作家の岡田尊司氏による著書『生きるのが面倒くさい人 回避性パーソナリティ障害』(朝日新書)から、一部を抜粋・改編して解説する。

*  *  *

■星新一の場合

 回避性(人の世の煩わしさから逃れたいという願望をもち、現実の課題を避けようとする傾向)の人がその人らしく生き、その人らしく輝ける生き方とは、いかなるものなのか。

 「ショートショート」と呼ばれる超短編で独自の世界を生みだした作家の星新一も、多分に回避性の強いパーソナリティの持ち主だったようだ。以下、相葉最月氏による評伝『星新一 一〇〇一話をつくった人』をもとに、その生い立ちを振り返ろう。

 彼は作家として名を遺したが、その生い立ちからすると、彼は2代目社長になるべくして生まれた存在で、実際、彼は若くして一部上場企業の社長を務めたこともあった。彼の父星一は、星製薬の創業者である。戦前の日本では、星製薬は、武田薬品、田辺製薬などと並ぶ三大製薬会社の一角を占めていた。

 だが、星製薬は、政敵側の画策もあって、厳しい状況に置かれていた。

 それゆえ、一家にとって、星製薬の再興は悲願であり、長男の新一は、そのプレッシャーをまともに受けて育つこととなった。その状況をさらに過酷なものにしたのは、祖父母が幼い新一を溺愛し、さらに下に弟、妹が立て続けに生まれたことから、「母親のぬくもりを知らない」(『星新一』)で育ったことだった。新一は、両親に甘えることを知らない少年だったのである。

 幼い頃、新一は近所の子と遊ぶことも許されず、弟妹とさえかかわることは稀で、孤独に隔離された幼年時代を過ごした。そのためか、新一は自分の気持ちをほとんど表現しない子どもに育った。

 だが、小学校の頃の新一は、頭の回転が速く、周囲を笑わすのが得意な少年だった。

 そんな特性は、後年、感情表現などはせずに、ユニークなアイデアで読者の意表をつく独自の作風へとつながっていく。