健康になりたいのになれない人が多い「厳しすぎる現実」

AI要約

経営の失敗から学ぶ健康に関する問題についてのエッセイ。

過剰な健康意識やサプリメント摂取が逆効果になる可能性を指摘。

健康を経営と捉え、対立を解消する健康法を模索する必要性を説く。

健康になりたいのになれない人が多い「厳しすぎる現実」

 なぜ組織の上層部ほど無能だらけになるのか、張り紙が増えると事故も増える理由とは、飲み残しを放置する夫は経営が下手……。わたしたちはいつまで金銭や時間など限りある「価値」を奪い合うのか。そもそも「経営」とはなんだろうか。

 経済思想家の斎藤幸平氏が「資本主義から仕事の楽しさと価値創造を取り戻す痛快エッセイ集」と推薦する13万部突破のベストセラー『世界は経営でできている』では、気鋭の経営学者が日常・人生にころがる「経営の失敗」をユーモラスに語る。

 ※本記事は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものです。

 ここでも目的と手段の混合を避ける必要がある。

 たとえばマラソン選手の練習並みのランニングを毎日繰り返すといった行為は臓器の消耗を早めるだけの結果に終わる可能性がある。臓器を痛めつけてもよいから成果を上げたいというプロスポーツ選手ならば話は別だが、健康のために始めた趣味が高じて……という場合にはやりすぎだろう。

 脳トレも同じだ。ときどき、脳トレに熱中して公共交通機関に乗りながらイライラしている人がいる。ときには、頭を前後に激しく振っていたりすることさえある。心理的なストレスと物理的な衝撃波で脳細胞は死んでいっているのではないだろうか。

 これでは「ストレス解消のために創作活動を始めたのに、自分の作品が認められなくてストレスをためている」私と同じくらいの喜劇である。

 また、ときどき「天然由来の有機食材以外は口にしない」という主義を徹底している人もいる。これもまた行き過ぎると手段が目的化しておかしなことになる。

 そうした人はどんな食品を手にとる場合も真っ先に食品表示を見る。そして「添加物が、添加物が」と、ところかまわずヒステリーを起こす。挙句の果てには風邪薬を買う際にも有効成分のはずのイブプロフェンが入っているという理由で一般的な医薬品を避けたりする。

 これでは風邪が悪化するのも当然である。

 かといって医薬品を求めて病院に通うのが趣味というのもいただけない。こうした人の中には、病気の予防や治療をしに病院に通っているのか、病院に通うための理由として予防や治療ができる病気を探しているのか、よく分からないような人もいる。

 このような人は病院に通うのを日課にしているように見える。そして大抵の場合は待合室で誰彼構わず話しかけまくる。いくら病院が清潔だとはいっても院内感染まっしぐらだ。そうしてめでたく病院で薬と一緒に別の感染症をもらってきて「やれやれ、これで病院に通う理由ができた」と胸をなでおろすのである。

 有機食材狂信者でも病院重課金者でもない「サプリメント過剰摂取型病気予防主義者」の場合も同様の罠にはまることがある。

 サプリメント過剰摂取型病気予防主義者は往々にして一日に飲んでいる薬とサプリメントの数を隣人と競ったりする。「ほう、おたくは毎朝十五錠ですか。私は最近は二十錠でしてね」などと不健康自虐風自慢をおこなう。

 しかし、追加検証が必要な段階だが、サプリメントの飲みすぎがある種のガンの発生率を上げてしまう可能性を指摘した論文もあるそうだ。

 これをきいてサプリメント過剰摂取型病気予防主義者の方々は胃袋からサプリメントを噴き出されてしまったかもしれない。この本が溶けたサプリメントで染まったせいで、中古で売れなくなったとお怒りかもしれない。

 いずれにしても、部分に気を取られて全体を見失う、短期利益を重視して長期利益を逸する、手段にとらわれて目的を忘れるなど、健康をめぐる問題のほとんどはそのまま経営の問題と同一である。

 健康は経営だ。健康という価値を創造するには健康への障害を取り除かねばならない。そのために自分の中にあるさまざまな対立を解消する健康法・健康習慣を生み出していく必要があるのである。

 つづく「老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い」では、なぜ定年後の人生で「大きな差」が出てしまうのか、なぜ老後の人生を幸せに過ごすには「経営思考」が必要なのか、深く掘り下げる。