「発達障害」といわれるとき、発達の「開始の部分」と「ゴールの部分」はどこにあるのか?

AI要約

遺伝子の組み合わせや不妊治療によるリスク、胎児環境の影響など、胎児期におけるさまざまな要因が子どもの発達に与える影響について解説されている。

母親の体調や生活習慣などが胎児に直接影響を及ぼす可能性が指摘されており、注意が必要とされている。

子どもの発達には個々の要因だけでなく、環境や生活状況も大きく関わっており、子どもの丈夫さや繊細さを感じることができる。

「発達障害」といわれるとき、発達の「開始の部分」と「ゴールの部分」はどこにあるのか?

 言葉が幼い、落ち着きがない、情緒が不安定。

 育ちの遅れが見られる子に、どのように治療や養護を進めるか。

 講談社現代新書のロングセラー『発達障害の子どもたち』では、長年にわたって子どもと向き合ってきた第一人者がやさしく教え、発達障害にまつわる誤解と偏見を解いています。 

 ※本記事は杉山登志郎『発達障害の子どもたち』から抜粋・編集したものです。

 人の一生は、母親の卵管の中で、母親の卵子と、父親の精子が出会い、受精をするところから始まる。この受精という現象は、23対46本の染色体がほどけ、卵子に託された母親由来の23本と、精子が担う父親由来の23本の染色体が合わさり、新たな46本の染色体として新しい細胞になるところから始まるのである。この新しい細胞はいったん作られると、たった一つの細胞から次々と細胞分裂が繰り返され、やがて母親の子宮の中で人の胎児としてそだちはじめる。

 この受精に始まる一連の過程は、それ自体、さまざまなリスクをはらんでいることに留意してほしい。一対の遺伝情報が二つに分かれ、その片割れ同士がくっついて新たな遺伝子の一対を組み上げるのであるから、その最初の作業自体がさまざまな困難をはらんだ仕事である。

 そもそも何のために、このような危ないことを世代ごとに行わなくてはならないのか。それについて、固定した遺伝子は状況の変化に対応できないから、という説明がなされている。少しずつ変化するためにこそ、このような危ない橋を渡るのである。言い換えると、この段階で、すでにさまざまな突発的な変異が起きることが前提となっている。

 たとえば遺伝子の一部が別の部位にくっついたり重複したりするという異常が頻繁に生じることが知られている。これは生命の維持にはまったく問題のない分子レベルで起きることもあれば、ごそっと移動してしまって、いわゆる奇形を作ることもある。これが日常的に生じていることは、自然流産をした胎児を調べるとその約半数に染色体異常が見いだされることからも分かる。

 ちなみに現在、人工授精など生殖医療はどんどん進んできている。子どもを望む夫婦の気持ちを慮ってか、生殖医療に対する積極的な批判はほとんど見あたらないが、不妊が生じるにはそれなりの理由があり、そこを強引に妊娠させる過程においてある程度のリスクが上がることは当然である。この本の中ではほとんど取り上げることはないが、実は生殖医療において発達障害も生じやすいし、また意外なことに、子ども虐待のリスクが高まるのである。

 論を戻すと、人として子宮の中でそだち始めた胎児は、すでに妊娠半ばから母親の鼓動を聞き、母親の情動を感じながらそだっていく。妊娠中の母親の、心身にわたるコンディションが子どものそだちに影響を与えるらしいということも近年さまざまな証拠が示されるようになった。

 読者の方々はこういったテーマに関して、くれぐれも原因─結果という直線的な因果律で考えないでほしい。おなかの子どもに影響を与えるものは、残存農薬の影響や環境ホルモンといったレベルの問題から、日常的なものとして、タバコ、酒、薬、シンナー(! )等々たくさんあるのであるから。

 それにしても10代、シンナーの影響+ドメスティックバイオレンスといっためちゃくちゃな胎児環境の中で、玉のような子どもが生まれることもあればその逆もある。心の臨床の最前線にいると、赤ちゃんや子どもというのは少なくとも生命的にはけっこう丈夫にできているのだなあというのが、筆者の実感であるのだが。