田嶋陽子、83歳になっても吠える…!「最期は誰かに看取られたいは甘え」「いまの政治はひどすぎる」

AI要約

田嶋先生からは、死についての幻想や現実を考えさせられます。誰かに見守られながら死ぬのは幻想であり、一人で死ぬ覚悟を持つことの重要性を強調しています。

男性は特に「見守られて死ぬ」という理想を持ちがちですが、妻や家族に見捨てられる可能性も考えておく必要があると述べられています。

最期を迎える前に、自立した生活を送ることや近隣とのコミュニケーションを大切にすることで、一人で死ぬ覚悟を決めて楽しい余生を送ることを提案しています。

田嶋陽子、83歳になっても吠える…!「最期は誰かに看取られたいは甘え」「いまの政治はひどすぎる」

 「妻や家族に見守られて死ぬのが幸せだなんて誰が決めたんですか? 見守られるどころか見捨てられることだって考えておかないと」――終の棲家を見つけた田嶋先生から、ちょっと耳の痛いお話を。

 前編記事『「一人で死ぬことは何にも怖くない」田嶋陽子が語る、私がシニアハウスを「死に場所」に選んだワケ』より続く。

 「誰かにそばにいてもらいながら死にたい」という人は多いでしょうが、いまは年に約7万人の高齢者がいわゆる孤独死する時代でしょう? 

 そんなに異常なことではないし、ちっとも惨めなことだとは思いません。

 男性は特に「こんな理想的な死を迎えたい」という気持ちが強いんでしょうね。妻や子ども・孫に囲まれて「いままでありがとう」と感謝されながら死んでいく。

 それは理想というより幻想なんですよ。年配の男性は「出世しなければならない」というのと同じように「誰かに看取られて死ななきゃいけない」という幻想を持たされているんです。

 でも、その幻想は「妻が自分の最期の面倒をみてくれる」という前提に成り立っている。そんな保証、どこにあるというんでしょうか? 

 「俺が働いていたときのおカネと年金でいまの家や生活がある。だから妻は自分に感謝してくれている」と思っているのかもしれませんが、案外妻は「ずっと家にいて家事をやることを命じられた。自分にも働く機会があれば、経済的にも自立し、夫の言うことだけを聞くような人生ではなかったのに……!」と恨んでいたりするものです。

 熟年離婚も増えている時代。最期を迎える前に、「私はこれから自分の人生を生きます。さようなら」と離婚を切り出されるかもしれません。それを避けたいなら、妻に愛想をつかされる前に、いますぐ家事の技術を身につけたり、妻のために料理の一つでも覚えること。料理なんてできない? 

 世にいる名シェフはほとんど男性でしょう。命に関わると思えば、誰だってできますよ。それができないなら、一人で死ぬ覚悟を持つことです。

 老人ホームに入るのもいいでしょうし、一人暮らしをする場合は、人として最低限誰かに迷惑を掛けないために、一応近隣の人に普段から挨拶ぐらいはして、何かあったときには気づいてもらえるようにする。枕元や玄関に「もし私が死んでいたら、もろもろの手続きをお願いいたします。そのためのお手間代を、タンスに入れていますので受け取ってください」と一筆書いて置いておく。それでいいじゃないですか。

 「妻は自分の最期を看取ってくれるだろうか……」と悩むぐらいなら、一人で死ぬ覚悟を決めて、その時が来るまで健康で気ままに生きたほうが、よっぽど楽しい余生を送れますよ。