鯨類飼育の変遷② 開館当初1頭もいなかったクジラ くじら日記

AI要約

和歌山県太地町長が語った海洋レジャーセンター建設の夢が実現し、くじらの博物館が開館。しかし、最初は捕獲が難航し、展示するクジラを捕らえるのに苦労する。

最初に捕獲成功したスジイルカも翌日命を落とし、他のイルカも次々と短命に。一方でウミガメを代わりに展示し、展示物不足の対応を試みる。

数ヶ月を経てやっと成功したクジラの追い込み漁で、31頭のゴンドウクジラが捕獲される。クジラの飼育や展示がようやく実現する。

鯨類飼育の変遷② 開館当初1頭もいなかったクジラ くじら日記

「わが町のこれらの夢は数年後に完成する筈(はず)である。既に、第一歩として湾をしめきって鯨プールも完成した。世界一のくじら博物館も四月二日には開館のはこびである。

太地の明日を御(ご)期待願いたい」

1969(昭和44)年4月1日、当時、和歌山県太地町長だった庄司五郎氏の過去の論文をまとめた町民向け印刷物が発行され、この中で、庄司氏はこう記していました。

「これらの夢」とは「一大海洋レジャーセンターの建設」のことで、「私の町が数百年にわたって、明日を豊かに生きるための唯一の道」と説明しています。

翌日の4月2日、太地町立くじらの博物館は華々しく開館式を迎えました。

ただその後の道のりは険しくもありました。完成した鯨プールには、クジラが1頭もいなかったためです。くじらの博物館の鯨類飼育は、漁師とともにクジラを捕らえることから始まります。

熊野太地浦捕鯨史(1969年発行)によると、太地では、船で「ゴンドウ」と呼ばれるクジラを港内に追い込み、港の出入り口を網で仕切って捕らえていました。くじらの博物館のスタッフら関係者は、この追い込み漁でコビレゴンドウを生け捕りにしようとしました。しかし、見つけても沖合で遠かったり、近くであってもうまく追い込むことができなかったりして捕獲できない日々が続きました。

オープンからほぼ2カ月経った5月29日、くじらの博物館の飼育日誌が初めて書き込まれました。「stenella coeruleoalba(スジイルカ)捕獲」とあり、スジイルカが鯨類飼育の第1号となりました。捕獲方法は記載されていませんが、追い込み漁ではないと思われ、漁師が銛(もり)を使って捕らえたのかもしれません。

このスジイルカは残念ながら翌日に命を落としました。その後もマダライルカなどの搬入記録が残されていますが、いずれも短命で、展示はできなかったと思われます。

こうした中、スタッフは、港内で飼育していたウミガメを、鯨類がいないイルカショープールに移動させて入館者に見せたこともあったといいます。

追い込み漁に成功したのはオープンから3カ月以上経ってのことで、7月22日の日誌に「PM3:00役場からゴンドウクジラの追込みがあるとの連絡があり、モーターボートを出し応援に出る。ゴンドウクジラ31頭捕獲する」などと記されています。翌朝、100人の漁師が太地港に集まりました。海に飛び込みクジラを追い、クジラが網にかかったところを1頭ずつクレーンでつり、トラックに載せて運んだといいます。