【インタビュー】農口尚彦(杜氏・91歳)「飲む人の喜ぶ顔を見ることが私の原動力。造りが始まると気力も体力も漲るんです」

AI要約

能登町出身の農口さんは日本酒造りの第一線に戻り、3度目の引退を撤回。地震の影響や新たな蔵の設立、若手蔵人の育成など、多岐にわたる活動を行っている。

農口さんは酒造りを通じて、飲む人の喜ぶ顔を見ることが原動力であり、自身の信条として「飲む人の求める酒」を造ることを掲げている。

技術の伝承や酒造りの細かな作業にも取り組む農口さんは、若手蔵人たちと共に日本酒造りの伝統を守りながら新たな試みも行っている。

【インタビュー】農口尚彦(杜氏・91歳)「飲む人の喜ぶ顔を見ることが私の原動力。造りが始まると気力も体力も漲るんです」

─世界で通用する日本酒を造るため3度目の“引退”も撤回─

「飲む人の喜ぶ顔を見ることが私の原動力。造りが始まると気力も体力も漲るんです」

── 能登町のご出身ですが、地震の影響は。

「発生時は私が杜氏を務める酒蔵(石川県小松市)で、事務作業をしていました。部屋の窓ガラスが割れそうなほどの揺れで、真っ先に頭をよぎったのは家族の安否のこと。幸い、能登の自宅に住む妻は、白山市にある長女の家にいて、すぐに連絡が取れました。次女とは4日間連絡が取れませんでしたが、無事に避難所にいることがわかりました。自宅も無事です。たくさんの方からご心配の声をいただきますが、酒蔵にも被害はなく、酒造りへの影響もありません。大切な故郷が被災し、筆舌に尽くしがたい心境ですが、復興のために協力できることを模索しているところです」

──酒蔵『農口尚彦研究所』にはいつから?

「新たな概念を持ち込んだ今の蔵が完成し、私が酒造りを再開したのは平成29年、84 歳のときです。私はそれまで3つの酒蔵で杜氏を務め、82歳で3度目の引退をしました。年齢が年齢だけに今度こそ一線を退くつもりでしたが、酒造りが心底好きなんでしょう。体も元気で、すぐにまた酒が造りたくなった。そんなとき、今の蔵の社長と意気投合して、新設する酒蔵で杜氏をすることになったのです」

──酒蔵で「研究所」とは聞き慣れません。

「酒造りの道へ進みたい若者に、私の技術を余すことなく学んでもらおうと、この名になりました。杜氏とは、酒造りの現場の一切を仕切る立場。杜氏の下で酒造りに携わる者を蔵人と呼びますが、現在は私のもとで8人の若い蔵人たちが酒造りに励んでいます」

──蔵とは思えないような近代的な建物です。

「私は場所の選定から関わりました。酒の成分は8割が水ですから、質のいい水源が重要です。あちこち探し回り、ここ小松市観音下(かながそ)の地で93mまで掘ったら、白山連峰の伏流水が出てきました。じつに、じつに旨い軟水でした。蔵の設計にも、私の意見が反映されています。例えば床。真っ平では水を掃き出すのに苦労するので、3%の勾配をつけました。それから、酒布や漉布などの洗濯物が多く出るので、大型の洗濯機を設置しています。蔵は徹底して清潔にしていますが、雑務の負担が少しでも軽くなれば、それだけ蔵人は酒造りに時間を割くことができますから」

──農口さんも細かな作業をするのですか。

「もちろん。酒造りが行なわれるのは、11月から翌3月まで。その間、蔵人は蔵の敷地内にある寮で寝食をともにします。私も孫ほど年の離れた蔵人たちと寮生活です。麹菌の都合に合わせ、深夜や早朝に行なう作業も多く、睡眠は不規則。今朝も4時起きですね」

──年齢的な肉体の衰えを感じることは。

「そりゃ、もう毎日。酒造りをしない期間は隠居生活みたいなもので、車椅子に頼ることもありますよ。でもなぜか造りが始まると気力も体力も漲り、身も心も軽くなる。天職なんでしょうね。それに未来ある蔵人に囲まれているから、元気がもらえるんです」

──蔵人たちにとても慕われています。

「よく付いてきてくれます。振り返れば、若い時分は周りに人が寄ってこなかったんです。何でもかんでも“しっかりやらんか!”と怒鳴り散らしていたから“鬼の農口”なんて呼ばれましてね。それが今では“仏の農口”ですよ(笑)。杜氏と蔵人の上下関係も、変わらなければならない時代になったと感じます」

──技術はどのように伝えるのでしょう。

「理論に基づいた方法を、実践を通して教えます。原料となる米は年によって出来が違うし、酒は目に見えない麹菌や酵母が働いてできるもの。精米歩合や酒米を浸水させた時間などの数値はすべて記録し、その結果を次の造りに生かすように説いています。一方で、感覚が頼りになる場面もある。旨い酒に仕上がるかは、米から造る麹の出来次第。いい麹を造るには、最適な麹の状態を知る必要がある。造る過程で一緒に米を食べ、議論しながら最適な状態をつかんでもらっています」

──農口さんが考える旨い酒とは。

「米の旨みがあり、キレのよい酒です。後味が爽やかで飲んだ後に、あれ? 旨みはどこへ行ったんだろうと思うくらいの酒だとたくさん飲みたくなる。そういう酒を造りたい」

──ご自身は下戸だと聞きました。

「テイスティングはしますが、普段は飲みません。味の方向性をどう決めるかといえば、私がとくに重視するのは飲んだ人の感想。馴染みの客だけでなく、蔵には『杜庵(とうあん)』というテイスティングルームが併設され、多くの方がお見えになる。作業の合間に顔を出し、感想を聞く。蔵の者が外へ営業に行くときも同行し、試飲の感想に耳を傾ける。時代によって人々の嗜好は目まぐるしく変わります。“飲む人の求める酒”を造る。それが私の信条です。私が酒飲みだったら自分の好みに固執して、旨い酒が造れないかもしれない。下戸だったから、造れた味なのかもしれません」