真島茂樹さん「ありのままの私の姿を見て」ミュージカルで女装ダンサーとしても長く活躍

AI要約

真島茂樹さんは日本劇場のダンス集団NDTで頭角を現し、その後ミュージカルの世界で輝くキャリアを築いた。

彼はオープンした東京ディズニーランドのショーにも出演し、85年に「ラ・カージュ・オ・フォール」で注目を浴びた。

「マツケンサンバ2」の振り付けで有名な真島さんは、ミュージカルの世界で欠かせない存在であり、自身の生き方を歌詞に例えたナンバーを愛していた。

真島茂樹さん「ありのままの私の姿を見て」ミュージカルで女装ダンサーとしても長く活躍

 「マツケンサンバ2」の振り付けで知られるダンサーで振付師の真島茂樹さんが亡くなった。77歳だった。真島さんを初めて見たのは1981年の「サヨナラ日劇フェスティバル」だった。

 日劇こと日本劇場は、4000人を収容する大劇場で、1933年に開場した。その3年後の36年に結成されたダンス集団「日劇ダンシングチーム(NDT)」に、真島さんは高校卒業に入団した。NDTは女性と男性の混合チームで、ダンサーは100人以上もいたが、真島さんはすぐに頭角を現し、男性のトップダンサーとして活躍した。しかし、大劇場の興行が困難になったことから日劇は81年に閉場し、NDTも解散した。そのさよなら公演で、長身でキレのいいダンスを踊る真島さんはひときわ目立っていたが、34歳で職場を失ってしまった。

 真島さんは83年にオープンした東京ディズニーランドのショーに出演する一方、85年に出演した舞台をきっかけにミュージカルが主戦場となった。その舞台は「ラ・カージュ・オ・フォール」。ゲイクラブを舞台にした人間賛歌の作品で、真島さんはクラブのショーで踊る女装ダンサーのリーダー役の「夜の女王」ことハンナ役で出演した。公演前にプロデューサーが「女装ダンサーが日本にいるかな」を心配すると、真島さんは「日劇(ダンシングチーム)にはそういう方はいっぱいいます」と言って、すぐに集めてきたという。以来、2022年までハンナ役で出演し、振り付けも担当した。

 04年に大ヒットした「マツケンサンバ2」の振り付けで脚光を浴びたが、「シカゴ」「屋根の上のヴァイオリン弾き」「キャバレー」「王様と私」「マイ・フェア・レディ」などに出演し、ミュージカルに欠かせないダンサーだった。そんな真島さんが愛したナンバーが「ラ・カージュ」の「ありのままの私」。その歌詞の「ありのままの 私の姿を 見て この世界に一人だけ それが私」「誇り高く 生きるだけ そうよ 私は私!」は真島さんの生き方そのものだった。【林尚之】