中尾彬さん(81)心不全で死去 妻・池波 志乃さんがコメントよせる「あまりに急で、変わらない顔で逝ってしまった」
俳優の中尾彬さんが2024年5月16日に亡くなったことが分かりました。81歳でした。
所属事務所も公式ホームページを更新。妻・池波志乃さんがコメントをよせました。
池波志乃さんが中尾さんの急な逝去を報告し、中尾さんの生涯や人柄を偲んでいます。
中尾彬さんは俳優としてだけでなく、絵画展での受賞も含めて芸術面でも活躍しました。バラエティ番組にも出演し、多くの人に愛された存在でした。
中尾さんは多くの作品で存在感を示し、幅広いジャンルの作品に出演しました。フランスでの留学経験もあり、芸術家としてもその才能を発揮しています。
中尾彬さんは少年隊やBOYS BE...といったアーティストへの楽曲提供も行い、音楽とのかかわりも深い人物でした。中尾さんの突然の逝去に悲しみを表す声が届いています。
俳優の中尾彬さんが2024年5月16日に亡くなったことが分かりました。81歳でした。
所属事務所も公式ホームページを更新。妻・池波志乃さんがコメントをよせました。
【コメント全文】
池波志乃です。
終活以来の中尾の遺言で、このような形を取りました。
仕事でお世話になった関係者の方々、マスコミの皆様、親しい友人の方々、応援してくださった皆様に、託された私から、お詫びとご報告申し上げます。
今年に入って足腰が悪く体力も落ちて、医師の訪問を受けながら、本人の意思により、自宅でゆっくり休んでおりました。時には取材や、足腰をかばっての仕事もやらせていただき、本人は元気で12月の旅行に向けて、頑張ってリハビリをしていたくらいでしたが、15日に容態が急変し、16日の夜中に自宅で私と二人の時に、とても穏やかに本当に眠るように息を引き取りました。
あまりに急で、変わらない顔で逝ってしまったので、まだ志乃~と呼ばれそうな気がします。叶いますならば、中尾彬らしいね~と笑って送ってあげてくだされば幸いです。
長い間、本当にありがとうございました。
2024年5月22日
株式会社 古舘プロジェクト
中尾さんは1942年8月11日に千葉県で誕生。
1961年に武蔵野美術大学油絵科入学し、同じ年に日活第5期ニューフェイスに合格しました。
1963年にはパリに留学し、帰国後、劇団「民芸」に入団。
1964年に日活映画『月曜日のユカ』でデビューを果たしました。
その後も『暴れん坊将軍』や『ゴジラ』シリーズ、『GTO』など幅広いジャンルの作品で存在感を示した中尾さん。
一方で、1983年にはフランスの絵画展「ル・サロン」でグランプリを受賞するなど、芸術面にも造詣が深く、芸術家としての一面も。
バラエティ番組にも多数出演し、そのチャーミングな人柄でお茶の間に親しまれてしました。