<私のはじめて>サンプラザ中野くん 1985年の「爆風スランプ」初めての武道館公演「満員にするようにと言われ」

AI要約

1985年に開催したバンド初の日本武道館での公演を振り返る爆風スランプのサンプラザ中野くん。公演当日のドキドキ感と満員御礼の喜びを語る。

バンドはデビューから1年4カ月で武道館公演に挑む。満員にするために作られた「大きな玉ねぎの下で」が意外な好評を得る。

初の武道館公演は満員御礼となり、アンコールでは「大きな玉ねぎの下で」を歌い、喜びを感じる。

<私のはじめて>サンプラザ中野くん 1985年の「爆風スランプ」初めての武道館公演「満員にするようにと言われ」

 今をときめくスターやアーティストにも、初出演、初イベント、初ライブなど必ず存在する“はじめて”の瞬間。そんな未経験ならではのドキドキの瞬間を、本人に振り返ってもらうのが「私のはじめて」です。今回は、ロックバンド「爆風スランプ」のボーカル、サンプラザ中野くんに1985年に開催したバンド初の日本武道館(東京都千代田区)での公演について振り返ってもらいます。

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 「爆風スランプ」は1985年12月13日の金曜日に初めての武道館公演に臨みました。デビューから1年4カ月でした。

 「満員にするように」と言い渡されたことが大変な重圧でした。満員にはならないと思い、空いた席をテーマにドラマチックな歌を作りました。それが「大きな玉ねぎの下で」です。思いのほか良い歌となりました。

 武道館初公演は、幸い満員御礼となりました。アンコールで「大きな玉ねぎの下で」を歌いました。うれしかったです。

 <プロフィル>

 1982年、コンテスト「EastWest」で最優秀グランプリを獲得した「爆風銃」のメンバー、ファンキー末吉さんと江川ほーじんさん、優秀グループ賞を獲得した「スーパースランプ」のサンプラザ中野さんとパッパラー河合さんの4人で「爆風スランプ」を結成。1984年8月にアルバム「よい」、シングル「週刊東京『少女A』」でメジャーデビュー。1985年12月に初めて日本武道館ワンマンライブを成功させる。1988年には「Runner」が大ヒットを記録し、初めてNHK紅白歌合戦に出場。1989年、江川ほーじんさんが脱退し、バーベQ和佐田さんが加入。「リゾ・ラバ」「大きな玉ねぎの下で~はるかなる想い」などで1990年代初頭の邦楽シーンを盛り上げた。1999年に活動休止を発表。2005、2007、2010年にその日限りの復活ライブを実施した。

 サンプラザ中野くんは1960年、山梨県生まれ。ボーカル担当。爆風スランプ活動休止後は、「サンプラザ中野」として歌手、健康を中心に、執筆など幅広い活動を行う。2008年から「サンプラザ中野くん」と名前をリニューアルし活動。阪神タイガースのファン。