敏いとうさん、84歳で死去 獣医師から転身…グループ率いて『星降る街角』『よせばいいのに』など大ヒット

AI要約

ムード歌謡グループ・敏いとうとハッピー&ブルーのリーダーだった敏(とし)いとうさんが10日に84歳で死去した。熊本県出身で、獣医師としても活躍していた敏いとうはムード歌謡の帝王として知られていた。

敏いとうは青学大経済学部、日大農獣医学部卒業後、獣医師として遠藤実氏の愛犬を診察し、芸能界入り。ミリオンセラーを出し続け、70年代から80年代にかけて活躍し、ムード歌謡の金字塔を築いた。

2021年には新☆(SHINSEI)敏いとうとハッピー&ブルーが結成され、敏さんは最高顧問に就任。宍戸マサルを中心に活動している敏いとうとハッピー&ブルーの歴史は続いていく。

敏いとうさん、84歳で死去 獣医師から転身…グループ率いて『星降る街角』『よせばいいのに』など大ヒット

 ムード歌謡グループ・敏いとうとハッピー&ブルーのリーダーだった敏(とし)いとうさん(本名・伊藤敏=いとう・さとし)が10日に死去したことが14日、分かった。84歳だった。熊本県出身。レコード会社関係者によると、葬儀・告別式は親族のみで行われる。

 敏さんは青学大経済学部、日大農獣医学部卒業。獣医師として作曲家・遠藤実氏の愛犬を診察したのがきっかけで芸能界入りした。1967年には、トシ伊藤とザ・プレイズメンの名義でレコードデビュー。本名の伊藤敏を逆さまにした敏いとうの芸名で活動するようになった。

 69年4月には敏いとうとブルー・キャンドルの名義で日本コロムビアから『誘惑』をレコードリリース。71年に敏いとうとハッピー&ブルーを結成し、リーダーに就任した。その後、74年の『わたし祈ってます』、77年の『星降る街角』、79年の『よせばいいのに』などとミリオンセラーを続々と出し、リーダーの敏さんは「ムード歌謡の帝王」と呼ばれていた。

 2021年には、宍戸マサルを中心に令和のムード歌謡をけん引すべく新☆(SHINSEI)敏いとうとハッピー&ブルーが結成され、敏さんは最高顧問に就任した。

 敏さんは腕っ節が強いことで知られ、渡米時にフランク・シナトラのボディーガードを務めたエピソードも持っている。また、政治への関心が高く、10年には国民新党から参議院選挙に比例区で出馬したが、落選している。

 敏さんの訃報を受け、後継者の宍戸はこの日、Xを更新。「2006年~2009年敏いとうとハッピー&ブルーのボーカルとして4年間お世話になりました 2021年に敏いとうさんからハッピー&ブルーを継承させて頂き、これからもハッピー&ブルーの楽曲を大切に歌ってまいります 心よりご冥福をお祈り申し上げます」とコメントしている。