永瀬正敏、デビュー作の現場で初めて「カテゴリーじゃなく“個”として見てもらえた」相米慎二監督が見せてくれた映画という世界

AI要約

永瀬正敏がデビュー作『ションベン・ライダー』を通じて俳優としての道を歩み始め、その体験が彼の人生を変えた理由について語る。

映画製作という大きな世界に入った当時の永瀬正敏の感情や経験を振り返り、自分を正当に見てもらえたことが大きな意味を持ったことを述べる。

永瀬正敏は『ションベン・ライダー』から40年以上の俳優活動を経て、多くの作品で主演を務め、海外映画にも出演し、写真家としても活動している。

永瀬正敏、デビュー作の現場で初めて「カテゴリーじゃなく“個”として見てもらえた」相米慎二監督が見せてくれた映画という世界

デビュー作『ションベン・ライダー』から丸40年をまわった俳優・永瀬正敏。製作国や、作品の規模に捉われずに作品を重ねてきた。一見クールに映るその内側に、熱い青の炎を燃やし続けているような永瀬さんのTHE CHANGEとはーー。【第1回/全4回】

「そこでもう、戻ってこられなくなったんですよ」

CHANGEの瞬間を振り返り、永瀬さんは笑った。

「僕の人生においてのそれは、圧倒的にデビュー作です」

 永瀬さんのデビューは、1983年に公開された『ションベン・ライダー』。今も多くの映画人が影響されたと語る相米慎二監督作のなかでも、傑作と称される1本だ。本人いわく、宮崎県の「普通のあんちゃん」だった永瀬さんは、全国オーディションで選ばれ、役者への1歩を踏み出した。

「もともと劇団に入っていたというわけでもないですし、俳優になろうとも思っていませんでした。それが全く見たこともない世界に入った。ちょうど僕は15歳でした。そうした年齢って、あるときは“お兄ちゃんなんだから、もう大人なんだからちゃんとしなさい”と言われたかと思うと、別の瞬間には“まだ子どもなんだからそんなことしちゃダメだ”と言われる。そんな不安定な時期に、学校という小さなコミュニティにいた、田舎のただのあんちゃんが、ポンっと映画製作というデカい世界のコミュニティに入ったんです」

 しかし永瀬さんをまず引き込んだのは、その世界の華やかさではなかった。

「初めて、自分自身を正当に見てもらえた感じがありました。正当な理由で怒られて、正当な理由で褒められる。まあ、相米監督には誉めてもらったことはないですけど(苦笑)。とにかく、15歳の少年を、そのカテゴリーで見るのではなく、自分という“個”として見てもらえた感覚があったんです」

 そのうえで、映画の撮影という体験をし、「衝撃的で、戻れなくなった」と振り返る。

「家族や親せきは、青春のひとつの思い出として“1本だけならいいよ”と言っていたのに、もう40年もやっています。親不孝者ですよね(苦笑)。そこまで何者でもなかった、ただの田舎の音楽好きのあんちゃんだった僕に、相米監督が映画という世界を見せてくれて、道筋を照らしてくれた。俳優になろう、俳優として生きていこうと思わされちゃったんです」

 自分を“個”として正当に扱ってくれた大人たちは、彼ら自身の姿勢もステキだった。

「たった何秒の一瞬のために、何日も全力をつくす大人たちの姿が、何よりも輝いて見えました」

 スタッフもそうだが、今なお活躍する大先輩の真摯な姿勢もいまだ心に残る。

「藤竜也さんの映画への向き合い方もステキで圧倒されました。すごいですよね。今も活躍されていて。本当に刺激になります。現場が好きでやり続けるって、やっぱりすごいことだと思うのですが、僕はその“好き”なものに15歳の時に出会わせてもらった。見つけちゃったのは、本当にラッキーでした」

 1989年にはジム・ジャームッシュ監督の『ミステリー・トレイン』に出演し、91年には山田洋次監督の『息子』で数多くの主演男優賞を獲得。その数年後に公開された林海象監督の『私立探偵 濱マイク』シリーズで、圧倒的な支持を受け、人気を確立した。永瀬さんが映画に出会ってくれて、こちらもラッキーである。

永瀬正敏(ながせ・まさとし)

1966年、7月15日生まれ。宮崎県出身。1983年に相米慎二監督の映画『ションベン・ライダー』でデビュー。ジム・ジャームッシュ監督『ミステリー・トレイン』(89)で主演をつとめて以降、海外映画へも多数出演し、海外でも知られる俳優。また写真家としても活躍する。台湾映画『KANO~1931海の向こうの甲子園~』で、金馬奨で中華圏以外の俳優で初めて主演男優賞にノミネート。アジア人俳優として、『あん』『パターソン』『光』にてカンヌ国際映画祭に初めて3年連続で公式選出された。最新作は安部公房の小説を映画化した『箱男』。『五条霊戦記//GOJOE』(00)、『蜜のあわれ』(16)、『パンク侍、斬られて候』(18)などでも組んできた石井岳龍監督との、27年越しの悲願を実現させた。待機作に『徒花-ADABANA-』がある。

望月ふみ