『逃げ上手の若君』は“温故知新”的なアニメだ 王道かつ異端な作品となった理由を解説

AI要約

『週刊少年ジャンプ』で連載中の『逃げ上手の若君』のテレビアニメは、ハイレベルな作画と手数の豊富な演出、鮮やかな色使いで観る者をワクワクさせる作品である。

本作は古きものを新しく見せる「温故知新」の意味を持ち、時代劇と少年マンガの王道を同時に楽しめる作品として注目されている。

演出の新鮮さと懐かしさのバランスが絶妙であり、古い題材を明るく前向きにアプローチする少年マンガの美徳を感じさせる。また、3Dの主観映像やアクション作画など、新しさも取り入れられている。

『逃げ上手の若君』は“温故知新”的なアニメだ 王道かつ異端な作品となった理由を解説

 『週刊少年ジャンプ』(集英社)で連載中の松井優征による『逃げ上手の若君』のテレビアニメが好評だ。ハイレベルな作画と手数の豊富な演出、鮮やかな色使いで観ていてワクワクさせる。

 アバン(OP前の本編)がなくいきなりOPから始まる構成に歌詞付きの映像、ギャグと物語のバランス感覚、少年の成長劇として(劇中でもパロディとして言及されるが)の王道の展開といい、時代劇として新鮮な一方で、ちょっと懐かしい雰囲気をもった構成を指向する作品になっている。

 本作はその内容も、映像のあり方も「温故知新」という言葉が似合う。「古いものをたずね求めて新しい事柄を知る」という意味だが、まさに本作の映像のあり方は、「古きを知り新しきを得る」ような感覚がある。その演出スタイルの選択は、北条時行という知られざる歴史の武将を通して「古きを知って新しい知識と歴史観を描く」原作にも合致するものだと思う。

■少年マンガでしか描けない時代劇の主人公

 本作は、武将を主人公にした時代劇に分類されるだろうが、従来のそのイメージを覆す内容だ。原作第1話の1ページ目は、主人公の北条時行が喜び勇んで「逃げる」ところから始まる。死を誉れとする武士の世界で逃げて、逃げて、生き延びて歴史に名を刻んだ者を描き、一般に流布する時代劇と異なる、古くとも新鮮な感覚を宿した物語を指向しているのが、最初のページからいきなり伝わってくる。

 この時行という人物は、少年マンガだからこそ描ける武将だという想いが原作者の松井にはあったようだ。松井はインタビューで、時行を題材に選んだことについて、こう語っている。

「基本的に歴史ものは大人向けであり、映画や小説はおろか、江戸時代の講談や歌舞伎でも、子供の時行はまず題材にされません。少年漫画というジャンルでしか感情移入してもらえない稀有な武将です。いま自分が少年誌で描いているうちに、このままでは永遠に埋もれてしまう武将に光を当てる事ができるのでは、と思いました」(※)

 つまり、本作の原作は、少年マンガでしか描けない時代劇の主人公を題材に、従来とは一線を画す時代劇を志向していることになる。ということは、本作をアニメにする際、原作に忠実に描くのであれば、最低でも2つの要素をクリアする必要がある。

1:古いものを新鮮に描く

2:少年マンガらしくあること

 これを実行するために、アニメ制作者たちは、従来の時代劇とは違うノリを持った作品に仕上げている。同時に、かつてゴールデンタイムに放送されていた『週刊少年ジャンプ』原作のテレビアニメを彷彿とさせるようなノリも持っている。少年マンガの王道であり、時代劇の異端であるという原作の方向性を活かそうというのが、映像面からも良く伝わる作風にしている。

■古きを新しく見せる演出

 まずは1つ目の古いものを新鮮に描くという点に関して。本作は一目でポップな印象を与える。まずは色だ。色彩の彩度が高めで目を引く。色彩設計の中島和子は、『四月は君の噓』や本作の山﨑雄太監督や川上雄介副監督も参加した『ワンダーエッグ・プライオリティ』、今年公開された劇場アニメ『トラぺジウム』を担当してきた人物で、一目でキャラクターを印象づける強い色使いだ。予告PVが出た時点でその色使いに惹かれた人は多かったようだが、鮮やかな色使いで時代劇の古臭さを感じさせない。

 また、本作のアニメは演出の手数が豊富だ。原作の時点でメタ的な視点を導入したギャグが端々に挿入されるが、映像にする時も臆することなく、それらをさらに過剰に見せる方向を選択している。シーンごと、カットごとに作画のスタイルも柔軟に変化させ、統合性よりも、「印象」を重視する方向だ。

 副監督の川上雄介が演出と絵コンテを担当した第2話を例に見てみる。五大院宗繁が時行に迫ろうとするところ、時折煙に隠れてシルエットになる五大院が鬼のシルエットに変化する。時行の兄を出世のために売った鬼畜が「印象」として表現される。五大院はこの話数にしか登場しない、いわゆる咬ませ犬みたいなポジションの悪役だが、最初の難敵として印象づけるため、鬼に見せたり、作画も時に荒々しい線で描写するなど、強さを絵の印象で表現している。

 「印象」という点では、燃え尽きた鎌倉のモノクロの背景に色鮮やかなキャラクターたちを立たせるシーンは大胆だ。あれだけ色のない背景を選択して、なおキャラクターの色はそのまま鮮やかさを保っている。このシーンでは、時行の兄が斬首されたことを知ることになるが、命ある者と命を失った者との対比がキャラクターの色鮮やかさと背景の色のなさで強調されている。時行はまだ生きている。生きているから色があるのだ、ということを強烈に印象づける対比的な色使いだ。

■湿っぽさのない少年マンガのアニメ化の美徳

 こうした新鮮な演出スタイルの一方で、本作の映像はある種の懐かしさを感じさせる。先にも言及したが、OP映像に主題歌の歌詞が付いている作品は、深夜アニメでは珍しい。だが、ゴールデンタイムや夕方に放送されるアニメでは一般的だった。作品の内容がどうあれ、OPとEDは楽しげな雰囲気なのも、昔のアニメをほうふつとさせる。

 一族滅亡から始まる物語なのに湿っぽさを感じさせないのは、快活に成長していく少年マンガの王道を指向するからで、映像もそれを盛り立てようと明るさを失わない。元々、テレビアニメは子どもが楽しむことを目的に制作されていたから、楽しい雰囲気作りも重要だったわけだが、アニメの視聴世代が拡がるにつれ、色々なタイプの作品が生まれていった。本作も第1話から人の首が落とされるシーンが出てくる作品なので、深刻な雰囲気にしようと思えばいくらでもできるが、明るさを保つところに少年マンガのアニメ作品としての美徳がある。

 そして、その少年マンガと時代劇のマッチング自体が新鮮だ。明るく前向きに、逃げることをよしとして少年の成長を描く、それ自体が古い題材を新しく見せることに繋がっている。一方で、3Dの主観映像や3Dレイアウトを駆使するアクション作画などで、近年のアニメの知見もふんだんに盛り込まれており、新しさを取り入れることも忘れない。古いものと新しいものを動員した、手数の多い演出力がこの作品を盛り上げている。

 『逃げ上手の若君』は、北条時行という歴史に埋もれた英雄を取り上げ、現代に問い直すと言う点だけでなく、映像のあり方も「温故知新」的なのである。

参考

※ https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1719815290