「はよ名前言えや!」噛んだことで生まれた自己紹介ネタが「空前絶後」の大ヒット!サンシャイン池崎がお笑い界に爪痕を残すまで

AI要約

サンシャイン池崎さんが芸人になったきっかけや下積み時代の苦労、コンビ解散の辛さについて語る。

ピン芸人として活動するも30歳過ぎまでは豪徳寺のボロアパートに住み、不安と恐怖に襲われる日々を送っていた。

「はよ名前言えや!」噛んだことで生まれた自己紹介ネタが「空前絶後」の大ヒット!サンシャイン池崎がお笑い界に爪痕を残すまで

「空前絶後の~」から始まり、預金残高やキャッシュカードの暗証番号まで言いきる長い自己紹介をきっかけにブレイクしたサンシャイン池崎さん。「R-1ぐらんぷり2016」の決勝進出を皮切りにテレビ番組出演が相次いだ時期は「爪痕残しまくったろ!」と意気込んでいたと振り返ります。自己紹介ネタ誕生秘話やテンションの上げ方などを伺いました。(全2回中の2回)

■相方に「解散したい」と告げられて

── 芸人になったきっかけを聞かせてください。

サンシャイン池崎さん:ずっとお笑いがやりたくて、大学の男子寮でコントを作って見せるとかはしていて。大学を卒業する時期がうちのワタナベコメディスクールが開校するタイミングで、福岡で説明会があるというのが雑誌に載っていたんで、男子寮の友達と行って。そのあと一緒に養成所にも入ったということがきっかけです。

── 下積み時代、つらいなと感じた場面はありましたか?

サンシャイン池崎さん:基本的にお笑いをやっているのは楽しいんで、売れていなくてもつらいとかは案外なかったです。バイトして、ネタ作ってお笑いライブに出て、仲間がいてっていう暮らし自体は売れてなくても楽しかったんですけど、1番しんどかったのはコンビを解散したときですね。大学の同級生と養成所に入って、1年間通って卒業するときに事務所に所属できなくて。その1~2年ぐらいの間に相方の心が折れちゃって。相方から「解散したい」と言われたときが、1番精神的にきつかったですね。そいつとしかお笑いをやりたいと思っていなかったんで、「うう…どうしよう…」みたいな気持ちになりました。

ピンになってからも意外と調子はよかったんですけど、30歳を超えてもまだ豪徳寺のワンルームのボロいアパートに住んでいて。時間帯によって下水臭くなる部屋で、30過ぎなのにバイトをしていて売れていなくて…。寝るときに、急にめちゃくちゃ怖くなるときはありました。将来に対しての不安なのか、この時期が一番怖かったです。