『キングダム 大将軍の帰還』大沢たかお×吉川晃司が咲かせた“戦の華” 人智を超えた激戦に

AI要約

『キングダム 大将軍の帰還』は、王騎将軍の完全戦闘モードが描かれたシリーズ4作目。王騎将軍のリミッターが外れ、激しい戦いに参加する姿が描かれる。

大沢たかお演じる王騎将軍は過去最高にかつての王騎を超える存在として描かれ、吉川晃司演じる龐煖との壮絶な一騎討ちが物語のクライマックスを迎える。

信や他のキャラクターたちの成長と展開も描かれ、壮大な物語の序章として位置づけられるが、物語全体のクライマックスではない。未だに続きが気になる展開である。

『キングダム 大将軍の帰還』大沢たかお×吉川晃司が咲かせた“戦の華” 人智を超えた激戦に

 本気の王騎将軍(大沢たかお)を見たくないか? 見たいはずだ。それならば、今公開中の『キングダム 大将軍の帰還』を観に行くべきだ。過去3作の王騎将軍は、基本的に副官の騰(要潤)と一緒に「満々の満です」とか言いながら、高みの見物を決め込んでいた。「春秋戦国時代最強」のオーラをビシビシ発散しながらも、戦いには参加しなかった。

 だが今作、シリーズ4作目にして、初めて王騎将軍のリミッターが外れる。あの余裕の笑みは消え、憤怒の表情で、大矛をフルスイングする。第1作から5年、ただ待ち望んだ完全戦闘モードの王騎将軍を、やっと見ることができた。堪能した。もう思い残すことはない。

 まず大沢たかお演じる王騎将軍が、過去最高に王騎将軍だった。ノースリーブ鎧だからこそ見える腕を挙げた時の広背筋や大円筋は、昨日今日身についたものではない。もう何10年も戦場で、あの大矛を振り回してできた筋肉に見える。本当は短期間のトレーニングと食事でつけたものなのに、スクリーンで見ると「13の頃より数えきれぬほどの戦場を駆け回り(本人談)」、結果身についた筋肉に見えるのだ。つまり、大沢たかお自身は完璧な王騎将軍を演じているが、その広背筋や大円筋まで、完璧に王騎将軍の筋肉を演じているのだ。

 この大沢たかおの魂の入れ込み具合が、山﨑賢人はじめ他のキャスト陣を感化し、引っ張っていることは言うまでもない。だが大沢たかおに引っ張られているのは、キャスト陣だけではない。例えば音楽担当のやまだ豊までが、「今回、この作品で自分は引退するぐらいの気持ちでいました。王騎と一緒に死ぬぐらいの覚悟で挑まないといけないと思っていたので」と語っている(劇場用パンフレットより)。今作以外にも、『ゴールデンカムイ』(2024年)や『東京リベンジャーズ』シリーズの音楽も担当している彼は、日本映画音楽界の宝である。弱冠35歳のやまだ豊が今作で引退する必要も、ましてや王騎将軍に殉ずる必要も、まったくない。それだけ王騎将軍のカリスマ性が、漫画や映像の枠を超越してしまっているということだ。

 今回そんな王騎将軍を本気にさせたのは、趙軍総大将であり、因縁の相手でもある龐煖だ。演じるのは吉川晃司である。この龐煖は、「武神」と呼ばれる「おぞましい程に純粋な武の結晶(昌文君談)」だ。普段は山にこもり、ひたすらに武の修練を積んでいる。吉川晃司はこの龐煖を演じるに当たり、本当に山にこもって矛の練習をしたそうである。(※1)この愚直すぎる役作りにより、龐煖の人智を超えた雰囲気を醸し出すことに成功している。

 また、吉川晃司といえば“蹴り”である。シンバルキックである。原作の龐煖に蹴りのイメージはないが、演者が吉川晃司であるならば蹴らせないともったいない。物語序盤で信(山﨑賢人)や羌瘣(清野菜名)に繰り出した横蹴りは、ひたすらに重そうであった。他の飛信隊の面々なら、内臓破裂していたのではないか。王騎との対決では、得意の上段前蹴りも繰り出している。あの蹴りがシンバルではなく人体に向かうことを考えると、身の毛がよだつ。

 この2人の戦いが、タダで済むはずがない。監督の佐藤信介は『キングコング対ゴジラ』(1962年)、プロデューサーの松橋真三は『ダークナイト ライジング』(2012年)のバットマンとペインの戦いと評している。筆者的には、ラオウVSラオウ、大豪院邪鬼VS大豪院邪鬼、範馬勇次郎VS範馬勇次郎に見えた。

 SNS上では、「2人の一騎討ちが始まったら、なんで敵も味方も全兵士が観客になってしまうんだ」という発言も見られたが、それを言うのは野暮である。一騎討ちは戦の華である。『キングダム2 遥かなる大地へ』(2022年)での麃公(豊川悦司)と呉慶(小澤征悦)の一騎討ちの時もそうだったが、大将同士の一騎討ちは手出し無用で見守るのが作法である(多分)。「結局大将の一騎討ちで勝敗を決めるのなら、それまでの戦いはいらなかったのでは……?」と思うかもしれないが、そのようなツッコミは野暮の極みだ。

 一騎討ちが終わり、王騎将軍と信は、一頭の馬に同乗して戦場を進む。天下の大将軍と一介の百人将が同乗している理由は、本編で確認してほしい。ただこのシーンの2人は、まるで父と子のようである。孤児だった信にとって、王騎将軍は父のような存在だったのではないか。馬上で将軍としての心構えを教えられ、「将軍の見る景色」を見せつけられた信は、決意を新たにする。

 第1作のレビューを書く際、筆者はあえて山﨑賢人演じる信のことを「クソザコ」と書いた。(※2)だからこそ、この4部作を通しての信の成長、特に顔つきの変わりようには驚かされる。見た目が大きく変わったわけではないが、内面の成長が透けて見える。王騎はじめ将軍たちの戦いを目の当たりにして、多くを学んだのだろう。

 単独で暴れていれば良かったザコ時代と違い、百人将となり仲間の命を預かる立場となった。死んでいった仲間の命も、背負って戦っていかねばならない。ここまでは大いなる序章であり、ここから、信にとっての「天下の大将軍への道」が始まる。

 ……と思っていたが、「シリーズ最終章」との文言をチラホラ目にするし、スタッフ・キャストのインタビューを読んでも、どうやら今作で一区切りのようである。許すまじ。

 今作は、『鬼滅の刃』で言うところの『無限列車編』である。言うなれば、王騎将軍は煉獄杏寿郎だ。今作のエピソードは、主人公の覚醒からのさらなる成長を促すための、物語前半の大きな山場ではある。だが、物語全体のクライマックスではない。原作単行本で見ても、現在72巻まで刊行されているうちの16巻までのエピソードでしかない。

 まだまだ続きを観たいところではある。戦に出ないがために出番が少なくなっていった嬴政(吉沢亮)や、やっと本来の強さを見せた騰のファルファル、「そもそもこいつは何だったんだ!?」の万極(山田裕貴)らのこれからも、見届けたいところである。だが我々のこの無責任な願望が、山﨑賢人の肉体にさらなる負担を強いてしまうことも事実だ。彼には、『ゴールデンカムイ』シリーズの杉元佐一役という大任がまだ残っている。不死身の杉元と並行して童・信を演じるのは、さすがの山﨑賢人でもキャパオーバーだろう。山﨑賢人にも、嬴政にとっての漂がいればと思う。

参照

※1. https://www.otsuka.co.jp/ulos/questions/2024cp_interview/

※2. https://realsound.jp/movie/2024/06/post-1703419.html