上皇さま、疎開の記憶たどる旅 日光・益子、ゆかりの建物今も

AI要約

上皇さまは、90歳となっても疎開生活を思い出し、23年ぶりに栃木県日光市を訪れた。

当時の御用邸や学習院初等科の教室、庭園についてさまざまな思い出を振り返りながら訪問された。

庭園には上皇ご夫妻が植えたイチイの木や防空壕もあり、ご夫妻は見学や散策を楽しまれた。

上皇さま、疎開の記憶たどる旅 日光・益子、ゆかりの建物今も

 上皇さまは5月28~31日、戦時中に疎開した栃木県日光市を、上皇后さまと23年ぶりに訪問された。90歳となっても「戦争への深い思いがおあり」(側近)という上皇さまは、ご夫妻の会話の中でも、疎開生活がたびたび話題に上っていたという。少年期に過ごしたゆかりの地の今を、関係者の証言を交えて探った。(時事通信社会部編集委員 佐藤広淳)

 ◇思い出のイチイ、すくすくと成長

 上皇さまは1944年7月10日、学習院初等科5年の同級生らと、最初の疎開先だった静岡県沼津市の沼津御用邸から、栃木県日光市に移った。45年7月21日には同級生らと奥日光湯元に移り、終戦を迎えた。「今もしょっちゅう思い出す。夢でも見る」。上皇さまの同級生で、疎開生活を共にした明石元紹さん(90)はこう振り返る。

 日光田母沢御用邸記念公園には、1899年に大正天皇の静養のために造営され、上皇さまが約1年間滞在した旧御用邸の建物が残る。上皇さまは当時、「皇后宮」で生活。1階の「高等女官詰所(つめしょ)」で食事をしたり、こまを回して遊んだりし、2階にある皇后の「御学問所」隣の「御次(おつぎ)の間」で皇居の方に向かって「御日拝」をしたと、前回2001年7月に訪れた際に回顧していたという。

 記念公園に隣接する東京大の日光植物園にあった建物が当時、学習院初等科の教室となり、上皇さまは御用邸から通った。教室には暖房がなく、冬になると御用邸の付属邸に教室が移った。付属邸は78年に取り壊され、現在は宿泊施設「ふふ日光」となっている。

 同公園の庭園には、上皇ご夫妻が前回01年の訪問時に植えたイチイの木がある。96年7月の訪問時、上皇さまが庭を望む廊下から「あの辺りにイチイがあったはず」と指摘。その時は見つからなかったが、後日、その場所でイチイの切り株が見つかり、これを機に植えられた経緯がある。イチイは成長が遅いことで知られているが、現在は3.5メートルの高さに育っている。

 庭園には防空壕(ごう)も残る。同公園によると、内部は三里塚記念公園(旧宮内庁下総御料牧場、千葉県成田市)と同様、「H」の形をしており、主室と前室の配置など構造は似ているが、出入り口と「爆風逃し」の位置が逆になっている。22年8月に内部を確認した際、普通の長靴では入れないぐらい水がたまっていたという。庭園にはもう一つの「軽防空壕(ごう)」もある。

 ご夫妻は5月28日、旧御用邸内を見学後、庭園を散策。上皇さまは外から建物2階を指さし「あそこで勉強したわけ」と上皇后さまに説明していた。同公園によると、邸内見学中にはご夫妻で2階の部屋も訪れ、庭園散策中に防空壕の出入り口も見た。