まるで「江戸時代の少年ジャンプ」…幼馴染との淡い恋や故郷に迫る大悪党との対決も!青春盛りだくさんな「歴史小説」

AI要約

日本橋を出発点に、53の宿場を経て京都三条大橋を終着点とする東海道五十三次。四季の変化に富んだ美しい国土や江戸時代の風俗を紹介しながら、江戸時代の旅を楽しむ旅行者向けの本『時代小説で旅する東海道五十三次』より一部を紹介。

宿場歩きガイドでは、戸塚宿の情報が詳しく掲載されており、江戸時代の街並みや文化を想像させる描写がある。さらにハム製造の歴史や富士山、大山の遠望地点など、道中の見どころも紹介されている。

現代の高速移動手段と比べて、歩いて旅をする喜びや感動を味わえる部分が強調されている。また、遊行寺へ向かう旅の途中で「遊行」の意味や響きについて考えさせられる場面も描かれている。

まるで「江戸時代の少年ジャンプ」…幼馴染との淡い恋や故郷に迫る大悪党との対決も!青春盛りだくさんな「歴史小説」

 日本橋を出発点に、53の宿場を経て京都三条大橋を終着点とする東海道五十三次。

 その約490キロメートルにわたる長い旅路の上には、四季の変化に富んだ美しい国土、泰平無事の世の艶やかな賑わいが確かにあった。

 各宿場を舞台にした時代小説を解説しながら、江戸時代当時の自然・風俗を追体験する旅好きにはたまらない一冊『時代小説で旅する東海道五十三次』(岡村 直樹著)より一部抜粋してお届けする。

 『時代小説で旅する東海道五十三次』連載第6回

 『箱根駅伝最初の難所「権太坂」で女盗賊のハニトラ炸裂…! 5億円の大金を抱える盗賊団とそれを追う火盗改の白熱の「ドタバタ逃走劇」』より続く

 『夏雲あがれ』(宮本昌孝)

 ☆宿場歩きガイド

 JR戸塚駅下車。東海道本線の快速アクティ、湘南新宿ラインの快速も停車する。明治学院大学の横浜キャンパスなどもあって、学生の姿が目立つ。東口にはショッピングモール、外食産業の店も多い。

 西口を出てすぐ、大踏切から商店街を藤沢方面に歩く。5分ほどで、本陣のあった旧宿の中心である。本陣2軒、脇本陣3軒、旅籠75軒。

 起点の日本橋からは10里半(約42km)、旅人は最初の宿泊地として保土ヶ谷宿か戸塚宿を選んだ。江戸寄りの「権太坂」、京寄りの坂の2つの難所に挟まれていたためだ。

 藤沢方面とは逆に、江戸方面に歩くと柏尾川を渡る。この橋が吉田大橋だ。広重描く「東海道五十三次之内戸塚」は、吉田大橋のたもとにあたる。大名行列が持つ長柄のバレンを模した街灯、橋の両側の4枚の浮世絵模写など、東海道をイメージした橋である。

 このあたりは、「かまくら道」、「八王子道」との分岐点となっている交通の要衝だった。橋上で、新吾は妖術を使う土屋白楽と対決するも、白楽は「かまくら道」を逃走する。

 江戸方見附の手前に妙秀寺。境内に広重の絵に描かれている「左り かまくら道」の道標が保存されている。

 さらに東京方面に進むと、日本人によるハム作りはじまりの地がある。レンガ造りの建物は、ハムの製造・冷蔵に使われていたもの。斎藤満平は英国人の妻からハム製造の技法を学び、明治10年代、日本人として初めてハムを製造したのだった。当時、戸塚は鎌倉郡に属していたので、「鎌倉ハム」として全国に名をはせた。

 東海道をてくてく歩く旅人が、道中の進み具合の目安としたのが富士山と大山だ。横浜市域で両山を遠望しやすい地点は、境木地蔵尊や、戸塚宿の大坂を登りきった後の松並木あたりだった。

 現下、東海道新幹線を利用すれば、最速で東京~京都間を2時間20分ほどで移動できる。しかし、自分の足で距離を稼いで富士山を仰ぎ見た旅人の感動を、われわれは味わえるのだろうか。

 さて、これから藤沢宿の遊行寺をめざすわけだが、かねがね「遊行」なる言葉に魅せられている。「遊行」には、「行脚」とも「巡礼」とも異なる響きが感じられるのだ。せっぱつまった情況での旅とは違って、いま少しゆったりとした心持ちが伝わってきはしまいか――などと感慨にふけっていると、かたわらを車が猛スピードで走り去っていった。