箱根駅伝最初の難所「権太坂」で女盗賊のハニトラ炸裂…!5億円の大金を抱える盗賊団とそれを追う火盗改の白熱の「ドタバタ逃走劇」

AI要約

東海道五十三次を出発点から終着点まで紹介する旅路の魅力について記された記事。

宿場や風俗を通じて江戸時代の情景を追体験する時代小説愛好家向けの一冊が紹介されている。

保土ヶ谷から始まる宿場歩きのガイドや地域の歴史的な情報が詳細に記述されている。

箱根駅伝最初の難所「権太坂」で女盗賊のハニトラ炸裂…!5億円の大金を抱える盗賊団とそれを追う火盗改の白熱の「ドタバタ逃走劇」

 日本橋を出発点に、53の宿場を経て京都三条大橋を終着点とする東海道五十三次。

 その約490キロメートルにわたる長い旅路の上には、四季の変化に富んだ美しい国土、泰平無事の世の艶やかな賑わいが確かにあった。

 各宿場を舞台にした時代小説を解説しながら、江戸時代当時の自然・風俗を追体験する旅好きにはたまらない一冊『時代小説で旅する東海道五十三次』(岡村 直樹著)より一部抜粋してお届けする。

 『時代小説で旅する東海道五十三次』連載第5回

 『黒船が火を吐き空を飛ぶ⁉…教科書には絶対に載っていない「当時の庶民の感性」が色濃くにじむ「歴史小説」の魅力』より続く

 『雲霧仁左衛門』(池波正太郎)

 ☆宿場歩きガイド

 JR横須賀線・保土ヶ谷駅、もしくは相鉄線・天王町駅下車。本陣1軒、脇本陣3軒に加えて、休息専用の茶屋本陣1軒。旅籠67軒。刈(軽)部本陣は代々、清兵衛を名乗っているが、6代目の娘に紀伊国屋文左衛門の二男を入り婿として迎え、その持参金をもって本陣経営でかさんだ借財の返済に充てた、という。

 入口の格子戸の障子に「宿場そば」の墨文字が浮かび上がる。保土ヶ谷駅西口から一分にある「宿場そば桑名屋」である。黒い板作りの店だから、見逃す心配はあるまい。創業は明治19年(1886)だ。風味豊かなそばをつるつるすすり込んで、宿場探検に出立。

 保土ヶ谷税務署あたりが問屋場跡、高札場跡といわれ、標柱がたつ。問屋場は、宿場にあって公用荷物や人馬の継立を行う施設。継立には、宿場の住人や近隣の助郷村の者が労役にあたったが、これを金銭に替えて納めることが多かった。問屋場はその金で浮浪者らを雇い、人足として使った。

 左手に細い辻があって、ここが“金沢横町”。旧東海道から枝分かれする道に4基の道標が並んでいる。そのひとつが脇往還の金沢八景への道だ。

 国道一号からはずれ、元町橋付近から県立光陵高校の前を通り、境木中学付近へと至るのが旧東海道の権太坂。東海道では最初の難所といわれる。

 今日では改修され、勾配は多少とも緩くなっている。旧東海道の権太坂頂上には境木地蔵尊がある。このあたりが武蔵と相模の国境だったための地名で、境木地蔵から南は戸塚宿の管轄だった。