硫黄島で何が起きていたのか…99歳の硫黄島の元陸軍伍長との「突然の別れ」

AI要約

硫黄島での日本兵1万人の消失の謎や、そこで起きた出来事に迫ったノンフィクションの9刷が話題となっている。

著者は硫黄島に4度上陸し、日米の機密文書を徹底調査し、感動的な読者の声も集まっている。

高齢の元陸軍伍長の証言などにより、遺骨収集や硫黄島の戦いの真相についてさらなる情報が明らかになっている。

硫黄島で何が起きていたのか…99歳の硫黄島の元陸軍伍長との「突然の別れ」

 なぜ日本兵1万人が消えたままなのか、硫黄島で何が起きていたのか。

 民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸し、日米の機密文書も徹底調査したノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』が9刷決定と話題だ。

 ふだん本を読まない人にも届き、「イッキ読みした」「熱意に胸打たれた」「泣いた」という読者の声も多く寄せられている。

 西さんへのインタビューは毎回、西さんの負担にならないよう、長くても1時間前後にした。西さんは月曜、水曜、金曜に人工透析を受けていたため、電話は主に土曜、日曜にした。

 7回目のインタビュー(2月8日)は、西さんが入居する高齢者施設の職員の協力を得て、オンライン会議システム「Zoom」を使って行った。パソコン画面で初めて僕の顔を見た西さんは「実際に会いたいねえ」と話した。「コロナが収束したら、すぐにでも行きます」と約束した。

 僕は初めて電話で西さんと話して以来、テレビのニュース番組で都道府県別の感染状況の図表が表示されると、自分が住む「東京都」よりも先に「鹿児島県」の状況をチェックしていた。一日も早く西さんに会える日が来ますように、と願いながら。

 西さんは毎回、取材が終わる時間が近づくと、話し足りなそうな様子だった。

 9回目の電話取材が終わった2月下旬のことだ。10回目の取材のため西さんに電話したところ、不通だった。不通だった場合、西さんから折り返し電話してくることが多かったが、それもなかった。心配に思い、孫の小川真利枝さんに連絡すると、西さんは転倒して負傷し、医療機関に入院したとのことだった。携帯電話は高齢者施設に残したままだということだった。

 電話取材は途絶えることになったが、西さんは入院先から手紙を頻繁に送ってくれた。手紙には、自身が見た硫黄島の状況などの絵が描かれていた。西さんは入院してもなお、戦争の実相を僕に伝えようとしてくれた。しかし、その手紙もやがて届かなくなった。

 西さんが急逝したとの連絡は7月に小川さんから伝えられた。入院先で体調が急変したということだった。

 「戦争の惨禍を繰り返さないためにも硫黄島の戦いを知ってほしい」。そう望んでいた西さんには次の電話取材で、ウクライナで繰り返されてしまった戦禍をどのように見つめているのかを聞くつもりだった。しかし、そのインタビューはもう永遠に叶わなくなってしまった。僕は悲しみに暮れるとともに、これが戦後77年の重みなのだ、と痛感した。

 亡くなられたことで、僕は活字化を見送ろうと考えた。そのことを小川さんに伝えると、「原稿については、最後のインタビューですし、ぜひ掲載していただきたいです。本人も喜ぶと思います」との言葉が返ってきた。

 僕はボイスレコーダーに録音した10時間に及ぶ西さんの話をすべて文字に起こした。これだけの長時間の録音を文字起こししたのは、長い記者人生で初めてだった。西さんが生涯の最後に伝えたいメッセージを託したのは、僕だったのだ。そう考えると苦労は苦労でなくなった。

 最後となってしまった9回目(2月18日)のインタビュー。僕は初めて、過去ではなく、今後についての質問をした。

 「戦没者遺骨収集推進法で定められた遺骨収集の『集中実施期間』は2024年度で終わります。あと3年です。その先は不透明です。このことをどう考えますか」

 つづく「多くの日本兵が米軍上陸前の砲爆撃で死んだ…空襲警報が鳴ったとき、兵士たちが話していたこと」では、99歳の硫黄島の元陸軍伍長が遺骨収集や遺骨が埋もれているという場所についての証言を紹介する。