「そのまま死ねばよかったのに」…飲酒運転で全てを失った男性が、誹謗中傷を受けても「発信を続ける理由」

AI要約

飲酒運転による事故数が増加している中、飲酒運転で事故を起こした男性が「飲酒運転撲滅運動」を始めた経緯と思いを語る。

飲酒運転の恐ろしさを知り尽くした彼が自らの過去を晒し、「俺みたいになるな」と訴える中、辛辣な批判にも耐えながら活動を続ける決意を示す。

メディアからの注目や批判にも負けず、飲酒運転をなくすために取り組む姿勢を強調する。

「そのまま死ねばよかったのに」…飲酒運転で全てを失った男性が、誹謗中傷を受けても「発信を続ける理由」

厳罰化や社会的気運の高まりもあり、年々減少していた飲酒運転による事故数。しかし、警察庁が発表したデータでは、2023年の事故数は増加に転じている。

2005年、飲酒運転で事故を起こし、両手が不自由になった宮城恵輔さん(40歳)。彼は現在、飲酒運転の根絶に向けた活動を精力的に行っている。

飲酒運転で事故を起こした当事者は、如何にして「飲酒運転撲滅運動」を始めたのか。

前編記事『体が不自由になり妻と離婚…飲酒運転で事故を起こした男性を待っていた「地獄の日々」』に続き、宮城さんが飲酒運転で事故を起こしたことを発信するようになった背景と、活動に対する思いについて話を聞いた。

飲酒運転の撲滅を訴えて活動をするのは、家族や知人が犠牲になった被害者側が多い。一方で、宮城さんは事故を起こした側だ。発信するとなると、自身の恥ずべき過去を世間に晒すことになる。それでも、現在の活動を始めようと思ったのはなぜなのか。

「何より、僕自身が飲酒運転の怖さを身をもって知っているので、僕が発信しなくてはいけないと思いました。とにかく『俺みたいになるな』と伝えたくて。それから、事故の後に仕事もできなくなって、家に閉じこもるようになりましたが、やっぱり社会と関わって生きていきたいと思った部分も、活動を始めた理由です」

しかし、飲酒運転をなくすために発信するとなると、向き合いたくない過去の自分を正面から受け止めなくてはならない。

「それはもちろんありました。しかし、活動の中で、沖縄米軍基地で講話をしたことが転機になったんです。講話のあとに、何人かの米兵に『君は自分の過ちを許すことができているのかい?』と聞かれました。色々と考えて、完全に許すことはできないけれど、こうして伝えていくことが、僕ができるせめてものことなのだと思うようになりました」

飲酒運転をなくす活動を続ける宮城さんの思いは常に「俺みたいになるな」。しかし、自らの責任で事故を起こした張本人が根絶を訴えると、誹謗中傷の標的になるようにも思える。

「確かに、『お前に発信する資格はない』という意見をもらうこともあります。それはその通りで、自業自得なので受け止めていくべきものだと思っています」

さらに、活動がメディアに取り上げられるなどして注目を浴びると、「そのまま死ねばよかったのに」「ただのバカ」「よく人前に出られるな」など、辛辣な批判も多い。

「人って、こんなに簡単に『死』という言葉を他人に向けて投げるのだなと感じています。でも、何を言われても仕方がありません。言葉によって傷ついたとしても、僕の『飲酒運転をなくしたい』という思いは変わりません。なので、今の活動はこれからも続けます」