まさか”復刊”で大注目、「衝撃の政治本」が問いかける「自民党総裁選で”なぜか語られない”日本の最大問題」のヤバい中身…!

AI要約

日本の国家観や歴史哲学について考察した岩田温氏の著書『日本人の歴史哲学』が注目されている。

戦後日本における国家観の問題や個人主義的傾向、帰属意識の欠如について指摘されている。

物質的な豊満と精神的な貧弱さが共存する「戦後」時代の特徴について論じられている。

まさか”復刊”で大注目、「衝撃の政治本」が問いかける「自民党総裁選で”なぜか語られない”日本の最大問題」のヤバい中身…!

9月12日に告示された自民党総裁選。小泉進次郎氏ら過去最多の候補が名乗りを上げ、政策アピールなどで鎬を削る。

ただ、ウクライナ戦争や差し迫る台湾有事の可能性など冷戦後の世界秩序が音をたてて崩壊しつつある中、骨太な国家論や歴史認識論を語る声はあまり聞こえてこない。そんな中、「今こそ政治のリーダーは垂直的共同体としての国家を語れ」と主張する保守系ユーチューバーで政治学者、岩田温氏の『[新版]日本人の歴史哲学』(産経新聞出版)が“復刊”したとあって、注目が集まっている。

この本は岩田氏が早稲田大の学生時代、22歳のときに刊行した書籍の20年ぶりの復刊で、哲学者の長谷川三千子埼玉大名誉教授が「人々の精神をゆさぶる作品」と絶賛しているほどだ。西郷隆盛や特攻隊員たちの思想と行動から読み解いた「日本人の歴史哲学」と、そのキーワードとなる「垂直的共同体」。それらは一体、何を意味するのか――。日本政治が岐路に立つ今こそ読まれるべき「幻の名著」から一部抜粋・再構成してお届けする。

「戦後」とはいかなる時代なのか。

それは、日本人の根本に国家への不信から来る国家観喪失の時代である。

そして、大東亜戦争の敗戦により、戦前の日本の求めた独立自尊を厭う感情が高まり、国民の下意識に他力本願が存在する時代である。

もちろん戦前の日本国民の精神性が全てにおいて優れていたなどというわけではない。だが、戦前の日本人には、国家の存在意義が理解されていたことは事実なのである。

では国家とは何か。端的にその存在意義を述べれば、国民の財産、人命、領土の保全を行うもの、ということができる。

しかし、これはあくまで水平的な同時代のみの国家観にしか過ぎない。国家は水平的であるばかりでなく垂直的共同体でもある。すなわち、過去・現在・未来においてそこに住む人々の共同体でもあるのである。

国家としてなさねばならぬことを忘れてきた、否、敢えて行おうとしなかった戦後日本では、国家が垂直的共同体であることが忘れられてきた。

そのために日本国民は極めて個人主義的傾向を持つようになった。

自らの帰属意識を明らかにできぬため、経済的繁栄の裏で、国内には徐々に虚無主義が蔓延していったかのごとく思われる。その結果、カルト宗教に帰属意識を求めたり、インターネットのバーチャルな世界の中に帰属意識を求めたりする若者が急増し、フリーターですらない「ニート」 の概念が提出されるに至った。

これらは「戦後」という時代特有の病ではなかろうか。物質的に富める一方で精神が病む。豊満の影に貧弱な精神が存在する。