紀子さま58歳の誕生日「自分の興味を大事に」悠仁さま進学先は「尊重したい」ネットのバッシング「思い悩むことも」苦しい胸中明かされる 記者の質問に文書回答

AI要約

秋篠宮妃紀子さまの長男、悠仁さまが成人を迎え、昆虫や自然に関する興味を大切に育んできた18年間を振り返りました。

長男の幼少期から現在までの成長過程や、COVID-19の影響を受けながらも自然観察を続けている姿を描きました。

家族と共に過ごした時の大切さや感謝の気持ちについて、秋篠宮妃紀子さまのコメントを紹介しました。

紀子さま58歳の誕生日「自分の興味を大事に」悠仁さま進学先は「尊重したい」ネットのバッシング「思い悩むことも」苦しい胸中明かされる 記者の質問に文書回答

秋篠宮妃紀子さまは、11日、58歳の誕生日を迎え、記者の質問に文書で答えられた。

以下はその全文。

問1 悠仁さまは成年を迎えられました。母としての感想や、皇位継承順位2位の成年皇族として期待していることをお聞かせください。現在高校3年生ですが、今後の進路をどう考え、サポートされていますか。最近のご様子と合わせてお教えください。

長男の悠仁が誕生してから18年という年月が経ったことを感慨深く思っております。

長男が誕生したとき、お印(身の回りの品につける徽章)にちなんで親しい人たちからお祝いに贈られた高野槇が、ずいぶんと大きく成長しました。その近くには池があり、周辺には水草が繁り、鳥のさえずりや虫の鳴く声が聞こえます。

小さかった頃、クヌギやコナラの林でカブトムシを探し、その幼虫を育て、烏山椒の葉につくアゲハチョウの幼虫を見つけては観察していました。また、賑やかに鳴くセミ、飛び跳ねるバッタを追いかけるなど、さまざまな虫に関心を持つようになりました。いつしか、自分の指よりも大きいトンボを手にとり、間近で複眼、翅(はね)や肢(あし)の特徴や、放したトンボの飛び方を観察して「これはなんだろう」「なぜだろう」「どうしてだろう」と昆虫の図鑑で調べるようになりました。長男が幼稚園や小学校低学年のとき、水分補給係とトンボ見つけ隊の一人として、リュックサックを背負って一緒に野山の水辺のある場所へよく出かけた夏の日を懐かしく思い出します。

そうするうちに、山や川に出かけ、多様な自然環境に棲むトンボの羽化から産卵行動までの生活史を観察・記録するようになりました。あるとき、ヤゴの夜間の行動を、ビデオカメラで記録しようとしていましたが、ヤゴが移動したために思い通りに映像を撮ることができず、試行錯誤を繰り返しながら根気強く記録を続けて、ついに撮影ができたことも心に残っています。

長男が中学校1年生の3学期頃からはCOVID-19の感染が広がり、その影響で、しばらくは離れた場所でのトンボの調査がしにくくなりました。その一方で、赤坂御用地内の池の周辺を歩き、じっくりと観察し、調査に時間をかけることができました。トンボ類の生息環境について専門家にも意見を聴くことが増え、また赤坂御用地内の希少な植物に目を向けるようになりました。

思い返すと、長男は幼少のころから、虫探しや木登り、木の実・木の葉拾い、野菜作りなど、一年を通して屋外で過ごすことがよくありました。小学生になると、ものを作ることへの興味も増し、色紙で立体的な生き物や花を折ったり、大きくコピーした御用地内の地図の上に拾った木の実を置いて、種類と場所がわかる「どんぐりマップ(どんぐりさがし)」を作ったりしました。さらに、LEDでなく電球の古いタイプの信号機を実際に見に行って模型を作り、昔の道具について図鑑で調べて粘土などで小さな道具を作るなど、工作に夢中になっていた時期もありました。宮内庁職員組合の文化祭に出した作品「昔の暮らし」は、家族5人で古民家の家屋と、畳や襖、囲炉裏などの内装、鍋釜や桶などの道具類、庭の井戸や畑の作物、鶏小屋まで、それぞれが担当して協力して取り組んだ模型です。我が家の宝物のひとつとなっています。

暮らしの中で出会ったことや昆虫などを観察していたときの「あっ!」と思う気持ちから始まり、それが探究や創造へとつながっていく体験のひとコマひとコマが、いまの本人の成長へとつながり、支えているのだとつくづく感じています。

宮邸の水田の稲穂が色づいてきました。空を飛ぶ秋津(あきつ・トンボの古名)を見かけることが多いこの時期に、今まで長男の成長を見守ってきてくださった方々に感謝の気持ちを抱きつつ、改めて私たち家族が長男とすごした時間にしみじみと思いをいたしております。