筑後川1300年の歴史 鵜飼いの伝統を繋ぐ鵜匠 担い手が減少 存続危機に新たな一手も

AI要約

筑後川の夏の風物詩として親しまれてきた鵜飼いが岐路に立たされている。伝統を守るために奮闘する鵜匠の姿を描く。

鵜匠の臼井信郎さんは20年のキャリアを誇り、家業を守るために奮闘している。しかし、現在は筑後川に残る鵜飼い家は2軒のみとなっている。

鵜飼いは奈良時代から続く伝統であり、地域の貴重な観光資源としても機能している。日中に行われる出前鵜飼いショーは観光客に大人気だ。

筑後川1300年の歴史 鵜飼いの伝統を繋ぐ鵜匠 担い手が減少 存続危機に新たな一手も

筑後川の夏の風物詩として親しまれてきた鵜(う)飼いが、いま岐路を迎えている。どうやって伝統を残していくのか。鵜匠の胸に迫るものを取材した。

静寂に包まれた夜。滔々と流れる筑後川。筑後川は福岡県南部を流れる一級河川だ。

明かりの灯された船上で手綱を握り、鵜を巧みに操るのは、臼井信郎さん(40)。「鵜飼い」を生業とする家に生まれ、鵜匠となって20年になる。筑後川では長い間、近隣の3軒で鵜飼いが受け継がれてきたが、現在では臼井さんを含む2軒のみが残っている状況だ。

筑後川の夏の風物詩、鵜飼い。奈良時代に記録されたとみられる木簡に記述があるほど古くから行われていて、現在では地域の貴重な観光資源にもなっている。白井さんが自宅で飼っているのは、キキとララの2羽。それぞれに性格が違うと笑う。

普段、夜に漁火を灯して行われる鵜飼いだが、この日は陽の高いうちから“出勤”だ。軽トラックに鵜を乗せて向かった先は「道の駅・原鶴バサロ」。水槽のようなものを載せた別のトラックと合流する。

臼井さんたちが準備していたのは、鵜飼いの実演ショー。アユを泳がせた水槽に鵜を飛び込ませて、鵜飼いの様子を見せようというもの。水槽の周りには物珍しさから見物客が集まってきた。そしていよいよ出前鵜飼いショーの始まりだ。

「嘴から喉、ここからお腹」と白井さんは、鵜が喉までしかアユを飲み込めない状況を説明して鵜を水槽に放つ。勢いよく泳いで漁を始める鵜。狙いを定め、目にも止まらぬ早業でアユをパクリ。またパクリ。そしてまたパクリ。喉にアユを貯え水槽から出てくると食べたはずのアユが吐き出される。子どもたちも間近で見る鵜飼いに大喜びの様子だ。この日は2回のショーを行い、ともに大盛況だった。

「お客さんに喜んでもらえるの一番ですよね。身近で見てもらって、どうやって魚を獲るのか。まず鵜飼いって何?からですから」と話す白井さん。新たに始めた異例の取り組み。きっかけは7年前のあの出来事だった。