「陰部を客席に向けオープン」…お騒がせストリッパー「一条さゆり」2代目もついに逮捕!釈放後に初代との初対面で伝えられた想いとは

AI要約

一条さゆりとその後任である2代目の踊り子が逮捕される事件が起きる。

逮捕後、2代目は罪を認め、劇場が支払った費用で留置所に入る。

初代と2代目の対面は、バブル景気が始まる中で実現する。

2代目の逮捕は、一条さゆりの名前を背負う者に特別な注意が払われることを示す。

2代目は逮捕後に親に申し訳ないと思うが、罪を認めて釈放される。

初代と2代目の歴史的な対面がストリップ界で実現する。

逮捕後、2代目は3泊4日の留置所で初めて親のことを思い返す。

初代と2代目の初対面はバブル景気期にあり、カメラマンの前で行なわれる。

一条さゆり伝説の継承と逮捕事件がストリップ界に影響を与える。

「陰部を客席に向けオープン」…お騒がせストリッパー「一条さゆり」2代目もついに逮捕!釈放後に初代との初対面で伝えられた想いとは

1960年代ストリップの世界で頂点に君臨した女性がいた。やさしさと厳しさを兼ねそろえ、どこか不幸さを感じさせながらも昭和の男社会を狂気的に魅了した伝説のストリッパー、“一条さゆり”。しかし栄華を極めたあと、生活保護を受けるに至る。川口生まれの平凡な少女が送った波乱万丈な人生。その背後にはどんな時代の流れがあったのか。

「一条さゆり」という昭和が生んだ伝説の踊り子の生き様を記録した『踊る菩薩』(小倉孝保著)から、彼女の生涯と昭和の日本社会の“変化”を紐解いていく。

『踊る菩薩』連載第94回

『「特出し」「逮捕」「反権力」といったイメージが強く残る《一条さゆり》の名前...それでも「2代目」が襲名するに至った《狙い》とは?』より続く

危惧された通り、2代目は襲名から1ヵ月半も経たずに逮捕された。福島県郡山市の裸舞郡山劇場に出演していた10月20日夜だった。

フィリピン女性が本番生板ショーを終え、陰部を客席に向けオープンしていたとき、突然音楽が止まり、「警察だ」と大声をあげながら、スーツ姿の捜査員がなだれ込んできた。2代目は舞台の袖で出番を待っていた。

出演していた踊り子全員が逮捕され、手錠をかけられた。公然わいせつ容疑だった。警察が緩く手錠をしたためか、捜査員が見ていないところで2代目が試してみたら、手は簡単に手錠から抜けた。

襲名時にはすでに、いずれ自分も逮捕されるだろうと彼女は思っていた。周りからも、覚悟しなければならないと忠告されていた。「一条さゆり」を背負った以上、警察が特別な注意を払うのは間違いなかった。

警察署に着き、留置の手続きが進む。身長、体重、そして、なぜか足のサイズまで測られた。

その日の夜、郡山は冷え込んだ。靴下をはかせてもらえないのがこたえた。悪臭のする毛布にくるまり、眠ろうとしたが一睡もできないまま朝を迎える。グラビアでヌードの仕事を始めて6年近くになる。寒い留置所で横になったとき、彼女は初めて思った。

「こんな仕事を選んでしまって、親に申し訳ない」

2代目は罪を認め、3泊4日の留置後、釈放された。この間のギャラや罰金(5万円)など、かかった費用はすべて劇場が支払った。

初代と2代目、2人の一条さゆりが初対面したのは、2代目の釈放から2ヵ月近く経った1986年12月12日である。バブル景気が始まったちょうどそのころ、ストリップ界での歴史的対面は実現している。

2代目の出演する大阪・東洋ショー劇場の楽屋を、初代が訪ねた。写真週刊誌のカメラマンが初代に、「会いませんか」と声を掛けたところ、彼女はすんなり了承したらしい。

東洋ショー劇場は前回の東京五輪の開かれた64年にオープンした。客席数(129席)や専属踊り子の数は西日本最大級だ。