5歳の娘を死ぬまで虐待、身内には逮捕者も…「犯人夫婦」の“浮世離れ”した生活事情――目黒5歳女児虐待死事件(2018年)

AI要約

1985年、岡山県で生まれた雄大は、バスケットボールに夢中だったが中学卒業後はバスケ部を退部し、不良と付き合うようになる。大学では再びバスケに打ち込み、卒業後はシステム開発関連の会社に就職。三軒茶屋や東が丘で生活し、経歴は比較的順調に見えた。

しかし、雄大は遊びが派手になり、大麻に手を出すなどの問題行動が目立つようになっていた。人脈作りを重要視し、三軒茶屋の自慢をしていたが、実際には酒を飲むことも苦手だった。

雄大は何かを補っているような印象を与え、周囲は彼を熱血漢でチームの中心と見ていた。しかし、その裏側には問題行動が隠れており、後に悲劇が起きることになる。

5歳の娘を死ぬまで虐待、身内には逮捕者も…「犯人夫婦」の“浮世離れ”した生活事情――目黒5歳女児虐待死事件(2018年)

〈「子供にこんな文章を書かせるなんて鬼ですよ」5歳の娘を「体重12キロ」になるまで虐待した“両親の非道”――目黒5歳女児虐待死事件(2018年)〉 から続く

「あの家は、ちょっと。なんというか、ここらの田舎からしたら浮世離れしているというか、そんな感じの家かな」。2018年、5歳の娘を虐待死させた、父親の船戸雄大(当時33歳)と母親の優里(同25歳)。いったい2人はどんな人物で、なぜ出会ったのか? 高木瑞穂氏と、YouTubeを中心に活躍するドキュメンタリー班「 日影のこえ 」による新刊『 事件の涙 犯罪加害者・被害者遺族の声なき声を拾い集めて 』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/ 前編 を読む)

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 1985年、岡山県で生まれた雄大は父親の仕事の関係で関東などに住んでいたこともあったが、小学校高学年で北海道札幌市に転居する。このとき、歳の離れた妹もいた。

 中学校の同級生に話を聞いたところ、当時は特に暴力性が際立つようなことはなく、バスケットボールに夢中になっていたという。

「運動神経が良くて、活発な子でしたよ。ちょっと相手によって言葉遣いとか態度を変えるようなところはあったけど。子供なんてそういうところ誰でもあるでしょう。強い者に憧れて媚びるというか……」

 中学卒業後、道内でバスケットボールの強豪校として知られる公立高校に進学。一時はバスケ部に籍を置きレギュラーを勝ち取り全国大会への出場を目指していたが、練習についていけず志なかばで退部。現実を知り卑屈になったのか、ついには不良と付き合うように。が、高校を卒業し東京・八王子にキャンパスを置く帝京大学に進学すると、改めてバスケサークルに籍を置き青春時代を費やした。当時のサークルメンバーは言う。

「遊び半分で入っていた連中が多いなか、強豪のバスケ部出身だけあってやっぱり抜群に上手かったですよ。だんだんと本気のサークルになっていきましたけど、雄大はチームの中心でした」

 誰に聞いても雄大を悪く言う者はいない。みんなを引っ張っていく熱血漢。そんなイメージを持たれていた彼は、大学卒業後にシステム開発関連の会社に就職し、ほどなく三軒茶屋に、頻繁に姿を見せるようになる。のちに東が丘に引っ越しをする際に、近くの「三軒茶屋はいいところだ」と優里に語っていたように、雄大は雑多なカルチャーの入り交じる不思議なこの街を、いたく気に入っていた。前出のサークルメンバーは語る。

「三軒茶屋の話はよく聞いていました。業界人と知り合いができたとか自慢げに話していましたよ。でも雄大は酒がそんなに飲めないんですよ。人脈を作りに行っていたんですかね」この頃から、雄大は大麻に手を染めるなど遊びが派手になっていく。