「死んでもええから、帰らせてくれ」…生まれ故郷ではないのに「被災地に住みたがる老親」の説得を私が諦めた理由

AI要約

西日本豪雨で被災した金藤純子さんが家族と共に避難し、3日後にようやく自宅に入れた体験を綴っている。

家具が水流で動かされ、重い冷蔵庫や家具が横転していたことに驚きを感じた。

自宅内の水の凄さを実感し、実家の1階天井まで浸水し、アパートの2階でも浸水があったことが明かされている。

自宅が地震や大雨で被災したら、生活はどのように変わるのか。2018年の西日本豪雨で家が浸水した金藤純子さんは、両親と共に避難した病院で孤立状態に置かれ、30時間後に自衛隊のボートで救助された。体験談を綴った『今すぐ逃げて!人ごとではない自然災害』(プレジデント社)より、一部を紹介する――。

■自宅に入れたのは被災して3日後だった

 自衛隊による救助後は、私たち家族は親族宅に身を寄せることができたので避難所には入りませんでした。しかし、すぐに真備町の家に向かったわけではありません。小田川の土手まで迎えに来てくれた同僚に最初に連れて行ってもらったのは、ユニクロです。着の身着のまま避難したため、両親も私も、着替えの洋服、下着も靴も持ち合わせていなかったからです。

 さて、皆さんは、水害の後、すぐに自宅に入れると思っていませんか? 私が実家に入ったのは被災して3日後の7月10日でした。

 街の4分の1が冠水した真備町では、決壊箇所から市街地に溢れた水をポンプで川の下流側に戻して、破堤部分に盛土をして応急復旧が施されました。こうして被災後3日後にようやく水が引いたので真備町内に車が入れるようになり、帰宅できたのです。真備町では排水ポンプ車が23台も集結し7月8日~11日まで作業が続いたそうです。

■重たい冷蔵庫や家具が水流でひっくり返っていた

 こうして久々に対面した2軒の家の様子は惨憺たるものでした。何より驚いたのは、家具が動いていたということです。実家の冷蔵庫は倒れ、応接間のキャビネットは横転し側面が下になっていました。和室のドアは重い婚礼家具が塞いでしまって開きません。入ってきた水が家の中で、物を浮かせて動かしてしまっていたのです。たしかに、病院の待合室の椅子も水で流されてぐるぐる回転していましたが、あれと同じことが自宅内でも起きていたのですね。

 室内に入ってきた水で押し流された家具に挟まって逃げられず命を落としてしまった方もいたそうです。それを聞くにつれ流れる水力の凄さを見くびってはならないと思い知らされました。

 結局実家は1階の天井まで浸水しており、私の住まいはアパートの2階だったのに、テーブル下まで浸水していました。しかもアパートの冷蔵庫には汚水がたまっていました。