ゼロ戦で墜落死したはずが棺桶の中で蘇生、仲間が「生きているぞ」と大騒ぎして…太平洋戦争「出陣学徒」たちの壮絶体験

AI要約

昭和18年(1943年)10月21日、約3万人の学生が雨の中、小銃を手にして外苑で行進する「出陣学徒壮行会」が行われた。

太平洋戦争が悪化する中、10万人以上の学徒が徴集され、前線へ向かうか特攻機で基地を飛ぶ運命にあった。

2003年に記録された出陣学徒たちの証言が、戦争の記憶が失われる危機に瀕している現在、注目されている。

ゼロ戦で墜落死したはずが棺桶の中で蘇生、仲間が「生きているぞ」と大騒ぎして…太平洋戦争「出陣学徒」たちの壮絶体験

 持ち慣れぬ小銃を手に雨の中、約3万人の学生が外苑で行進した「出陣学徒壮行会」は昭和18年(1943年)10月21日のことだった。この時すでに太平洋戦争の戦況は日一日と悪化の一途を辿っていたが、徴集された学徒は10万人以上。その多くがわずかな訓練の後、前線へと赴き、あるいは特攻機で基地を飛びたった。

 太平洋戦争終結から79年を迎える今年、ニュースは日々悪化する世界情勢を伝え続けている。そして日本では、戦争の記憶が失われるという危機感が大きくなっている。今から約20年前、壮行会から60年後の2003年に記録された「出陣学徒」たちの証言は、今こそ注目されるべき内容だ。

(全2回の第1回・「週刊新潮」2003年41号 「特別読物 『学徒出陣』10万人の60年」をもとに再構成しました。文中の年齢、肩書、年代表記等は執筆当時のものです)

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 平成15年10月21日――。

 神宮外苑の国立競技場の北側一角には午前中から200名を超す人たちが続々と集まっていた。男性の殆どは白髪で、ステッキの似合う年齢。その視線の先に建っているのは「出陣学徒壮行の地」と刻まれた碑である。

 やがて黙とうが始まり、「碑前集会」は静かに幕を閉じたが、この集会で、多くの参加者の脳裏をよぎったのが、ちょうど60年前の雨の日の光景だったことは間違いあるまい。胸中に複雑な思いを抱きながらも、外苑の競技場に集(つど)った思い出を共有していたのだ。

 昭和18年10月21日は、学徒出陣の壮行会が行われた日として知られている。東條英機首相が、それまで徴兵の猶予を受けていた大学生や高校生の猶予停止を発表したのがその1カ月前のことである。

 全国各地で行われた「学徒壮行会」の先陣をきって、明治神宮外苑競技場には東京周辺77校に在籍していた約3万人の学徒が集められ、雨の中、小銃を持って行進。白いブラウス姿の女学生や、徴兵年齢には達しない後輩がスタンドを埋めたモノクロのニュース映像をご記憶の方も多いだろう。