米軍が宣伝していた、日本兵が「超人」ではない「興味深い」根拠

AI要約

日本軍と中国軍の兵士を識別する方法について、米軍がどのような指針を持っていたかが明らかにされている。

識別方法は、身体的特徴や文化的特徴、振る舞いの違いなどを基準にしていた。

しかし、日本人と中国人を区別することは極めて困難であり、ステレオタイプな識別法は恐怖を飼い馴らすために使用されたが、有効性には疑問が残る。

米軍が宣伝していた、日本兵が「超人」ではない「興味深い」根拠

敵という〈鏡〉に映しだされた赤裸々な真実。

日本軍というと、空疎な精神論ばかりを振り回したり、兵士たちを「玉砕」させた組織というイメージがあります。しかし日本軍=玉砕というイメージにとらわれると、なぜ戦争があれだけ長引いたのかという問いへの答えはむしろ見えづらくなってしまうおそれがあります。

本記事では、前編〈話し方から下着まで…米兵捕虜が分析した「日本人」の驚きの姿​〉にひきつづき、米軍が日本軍と中国軍をどのように識別していたのか、そして日本兵超人神話の崩壊についてくわしくみていきます。

※本記事は一ノ瀬俊也『日本軍と日本兵 米軍報告書は語る』から抜粋・編集したものです。

日本軍と中国軍との兵士識別法は、IB(Intelligence Bulletin『情報公報』)「日本人の特徴」のかなり後に出た1945年3月号「彼は日本人か、中国人か?」にも掲載されている。これは「米軍が大陸に接近し、敵のスパイや侵入部隊と交戦する可能性が膨らむにつれ、中国人やその他の極東の人々と区別するためにますます重要になって」きたからであった。

フィリピンの日本兵はフィリピン人ゲリラになりすまそうとしているし、中国では便衣兵たち(plainclothesmen)──中国人の服装をした日本人──がはびこっている、つまり日本軍兵士が容貌のよく似た現地住民に化けて襲ってくるから、兵は識別法を学べというのである。

この記事もまた「多くの場合、日本人と中国人を身体の面から見分けるのは、ドイツ人とイギリス人をシャワー場でその会話を聞く前に見分けようとするのに等しい」といい、日本人は中国人よりも基本的には長い胴と短く太い手足、濃いあごひげと体毛、そして貧弱な歯を持つものの、「結局、中国人と日本人を身体的特徴のみで見分けるのは困難」と識別の難しさを認める。それでもその方法はなくはないという。「文化的特色と身ごなしが日本人判別の一助となりうる」と。

その具体的なポイントとして、〈話し方から下着まで…米兵捕虜が分析した「日本人」の驚きの姿​〉で出てきた「l」と「r」の発音や姿勢・歩き方、下着以外に「尋問する際に、相手の顔をみてみる」ことが挙げられている。「中国人なら簡単かつ自然にほほえむが、日本人は撃たれるかもしれないと思ってしかめ面になる。日本人は習慣的に会話の間、歯の間から急いで息を吸う。日本人は驚いたとき、思わず身に深くしみこんだ習慣を示すことがある」。

それでもはっきりしない場合の結論は、「日本人の真の相違点はその思考にあるという大事な点を覚えておくべきだ。中国人はこれを知っており、撃ってもよいかわからない場合の最良の判別法は、質問してみることだと言っている」というものであった。

これらのIBの記述をまとめるに、日本軍兵士は(中国人もだが)先の戦争を通じて「l」と「r」を正確に発音できないだけで、学んだことを忠実に実行しようとする米兵から撃たれてしまいかねない嫌な立場に置かれていたといえる。【図3】は米陸軍省・海軍省が1942年、自軍将兵向けに中国人との接し方を解説したパンフレット『ポケットガイド中国(Pocket Guide to China)』(1942年)の巻末付録マンガ「日本人の見分け方(How to Spot a Jap)」の数コマである。

生井英考「アメリカの戦争宣伝とアジア・太平洋戦争」(2006年)は、この「日本人の見分け方」を「一読して苦笑するほかないこじつけの羅列」としつつも、米軍がこうしたステレオタイプな識別法をあえて将兵に示した理由として「理解不能であることの不安を克服するために過去の知識や経験のなかから参照可能なものを探し出し、幼児の心的発達の過程で二元化された善悪の対立の構図へとこれを流し込んで自他の差異を描き出す──それがすなわちステレオタイプで、したがってこれは恐怖を飼い馴らすことを機能としているのである」という外国人研究者の指摘を引用している。

確かにこれらの「識別法」は米兵に恐怖を飼い馴らさせるために作られたものだったのだろうが、問題は日本人と中国人の識別が「こじつけ」でしかできない、つまりほぼ不可能だったということである。日本人への「人種」偏見を強調すればするほど、同盟国人たる中国人蔑視につながりかねないのだ。じっさい『ポケットガイド中国』に「日本人の見分け方」が添付されたのは最初の42年版のみで、次の43年版からは削除されている。

日米両国ともに「人種戦争」であったようにみえるこの戦争で、中国人というアジア人が米側に立って戦っていたことは、米軍側にとって戦争を「人種戦争」というわかりやすい図式に落とし込めない、歯切れの悪いものにしたといえるだろう。日本兵は中国人と似ているが故に、すくなくとも建前上は単純な人種偏見の対象にできなかったのである。