名古屋弁で「ま~1本ま~1本と…」亡くなった山田昌さんの代名詞 印象深い“鎌倉ハムのCM”ができるまで

AI要約

俳優の山田昌さんが94歳で肝細胞がんで亡くなった。山田昌さんは名古屋弁で親しまれ、鎌倉ハムのCMなどで知られた。

山田昌さんは愛知県常滑市出身で数々のドラマや舞台に出演し、名古屋弁を流暢に話すことで有名になった。

鎌倉ハムのCMに起用された山田昌さんは最初はフライパンを持ったCMであったが、後に名古屋弁を使ったCMに変更され、地元で親しまれた。

名古屋弁で「ま~1本ま~1本と…」亡くなった山田昌さんの代名詞 印象深い“鎌倉ハムのCM”ができるまで

ドラマや舞台で活躍し、流暢な名古屋弁で親しまれた俳優の山田昌さんが2024年6月16日、肝細胞がんのため亡くなりました。94歳でした。山田昌さんを起用したCMで認知が広がったのが「鎌倉ハム」です。「ま~1本、ま~1本と…」と名古屋弁を使ったCMが出来上がるまでには、紆余曲折がありました。

山田昌さんは1930年、愛知県常滑市に生まれ、「おしん」など数々のドラマや舞台に出演しました。

80年代から90年代にかけては、ドラマ「名古屋嫁入り物語」のシリーズで花嫁の母親役を務め、流暢な名古屋弁が全国的に有名になりました。

85年には、夫のアマチンこと故・天野鎮雄さんとともに名古屋で劇団「劇座」を結成し、若手俳優の育成に尽くしました。

2021年には、東海テレビのドキュメンタリー「大名古屋狂想曲」で、ナレーターを91歳で務めました。

山田さんといえば、「鎌倉ハム」のCMが知られています。鎌倉ハムは名古屋市中村区にあり、今回、取締役の高橋昌子さんに話を聞きました。

鎌倉ハムの取締役 高橋昌子さん:

二人三脚で来たので Kウインナーと山田昌さんは。寂しくなります。

山田さんをCMに起用したのは、約40年前のことです。

鎌倉ハムの取締役 高橋昌子さん:

弊社は、鎌倉創業なんですけれども、戦後残った名古屋工場本社にしたこともありまして、名古屋で根付いていきたいという感じで、名古屋に特徴のある山田昌さんを起用しようと。

鎌倉ハムは約150年前、神奈川県の鎌倉郡川上村で創業。関東大震災の影響で、製造拠点を名古屋へ移し、その後、本社を名古屋に置きました。

地元で根付きたいとの思いで山田さんをCMに起用したということですが、最初から名古屋弁ではなかったといいます。

最初は山田さんが「フライパンを持ったCM」でした。

鎌倉ハムの取締役 高橋昌子さん:

インパクトが出ないということで勢いのある「ま~1本」にしようと先代社長が言って、山田昌さんが「これはおもしろい」ということでノリノリで。

地元に根付くにはご当地の言葉で勝負しようと、名古屋弁のCMに変えたといいます。

鎌倉ハムの取締役 高橋昌子さん:

社員からは「こんな名古屋弁で大丈夫?」と言われていたみたいなんですけど、先代社長はこれだということで長きにわたって粘り強く勝負するぞということでこのCMを長い間流し続けていた。

すると、次第に認知度が高まっていったといいます。

鎌倉ハムの取締役 高橋昌子さん:

山田さんは街を歩いていると子供たちが「Kウインナーのおばさんだ」と言って囲まれたりとか、それが本当にうれしいと言っていらしたのを覚えています。

高橋さんは「昌さんがドスの効いた声で、お母さんが子供にたいして文句を言っているイメージが根付いたと思うのでそれが宝物だなと思います」と山田さんへの感謝を口にしていました。

2024年6月21日放送

(東海テレビ)