「勝って見返せ」挫折バネに 父と二人三脚も、メダル届かず 奈良岡選手・バドミントン〔五輪〕

AI要約

奈良岡選手は挫折から立ち直り、父の支えを受けて五輪に挑戦したが準々決勝で敗退した。

浪岡ジュニアクラブでラケットを握り、基本動作の練習に励んできた奈良岡選手。

父の徹底したデータ分析と助言が奈良岡選手の成長に大きく貢献した。

 バドミントン男子シングルス奈良岡功大選手(23)=NTT東日本=は6年前、代表入りを逃す挫折を味わった。

 「勝って見返せ」。相手選手の分析など、データ重視の父浩さん(54)の言葉を支えに初の五輪に挑んだが、ベスト16で姿を消した。

 奈良岡選手は、浩さんが監督を務める浪岡ジュニアクラブ(青森市)に遊びに行き、5歳ごろからラケットを握った。

 「努力する才能はある」と浩さんも認めるように、小学生の頃から基本動作の練習を怠らなかった。クラブから帰宅すると、シャトルの壁打ちを1~2時間、手首の可動域を広げるため、湯船の中でしゃもじを2000回振った。

 東京五輪も見据え、2018年は世界ジュニアで準優勝するなど実績を積んだ。だが、国内最高峰の全日本総合選手権での敗退が響き、翌19年のナショナルチームには選ばれなかった。

 落ち込む奈良岡選手に浩さんは言った。「勝って見返すしかない」。背中を押された奈良岡選手は、格の低い国際大会にも積極的に出て勝ち続け、1年で世界ランクは3桁台から40位台に。浩さんは「転機だった。代表を外れ、より強くなった」と振り返る。

 浩さんは、世界で勝てる選手に育てる研究にも没頭した。合理的な足の動きのヒントを得ようと古武術道場に出向いたり、身体の動作分析の専門家と協力して最適な打ち方を探したり。相手選手のシャトルの飛び方やラリー数などをデータ化し、「癖」の分析に注力した。

 緻密な分析に基づく父のアドバイスも武器となり大舞台への道を切り開いたが、力及ばなかった。