「災害はいつも想像を超えてくる」川は決壊・命の危険と直面も…消防隊員が振り返る20年前の“7.13水害”【新潟発】

AI要約

20年前の7.13水害で、消防隊員が命がけで活動した様子が振り返られる。

五十嵐川の決壊を確認し、住民の救助活動に奔走する消防隊員たちの姿が描かれる。

一部の隊員は命の危険に遭いながらも、水害の被害を最小限に抑えようと奮闘した。

「災害はいつも想像を超えてくる」川は決壊・命の危険と直面も…消防隊員が振り返る20年前の“7.13水害”【新潟発】

大雨が甚大な被害をもたらした7.13水害から20年…当時、現場の最前線にいた消防隊員が20年前を振り返り、命の危険と直面した経験や川が決壊した時の状況について語った。新潟県内で15人が犠牲となり、1万3000棟以上が被害を受けた水害の脅威とは…

「これは大変なことになるということと、一刻も早く本部に報告して次の手を打たないとダメだと思った」

こう話すのは、三条市消防本部の五十嵐康成さんだ。

36歳だった20年前、三条市を流れる五十嵐川の決壊を消防隊員として初めて確認した。

2004年7月13日午後1時7分、五十嵐川の堤防が決壊。五十嵐さんが消防団からの連絡を受け、決壊を確認した後、消防本部に第一報を入れたのはその数分後のことだった。

五十嵐さんは、「無線の用語で、まず緊急を知らせる『至急、至急』から入った。『五十嵐川左岸決壊確認、諏訪地内』というのをまず言った覚えがある」と震える声で第一報を入れたと振り返った。

その後は、消防車の無線で、自宅2階で救助を待つ住民へ呼びかけを行った。その呼びかけに対し、民家の2階からは手を振る住民の姿が。

「『これから救助隊が来て救出するので、それまでじっとしていてください』それだけだった」祈るような気持ちで呼びかけ続けたと振り返る。

一方で、救助に向かう途中、命の危険に直面した隊員もいる。赤塚健太郎さんだ。

「当日は消防本部で土のう作りをしていて、上司が血相を変えた状態で『決壊した、決壊した』と報告を受けた」

20年前、30歳だった赤塚さんはボートを積んだ車両で現場に急行。しかし、状況は困難を極めた。

「道路が川のような状態になっていて、どんどん水位が上がってきた。木材や漂流物がぶつかってくるような状態だった」

歩いてボートを引いている途中、水位の急上昇に行く手を阻まれたという。

「隊員何人かが流されそうになり、ボートを立ち木に結んで同じ道を帰ってくるような悔しい思いをした」