日本兵1万人はどこへ…硫黄島「滑走路下」に多数の遺骨が眠っているのか「ひとつの答え」

AI要約

硫黄島で消えた1万人の日本兵について、滑走路下の遺骨の発見に関する説を検証した話題のノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』について紹介。

滑走路下に遺骨が埋まっているという「滑走路神話」に対する懐疑論と、米国の公文書調査に基づく実際の調査成果について説明。

調査によると、滑走路下では大規模な遺骨の発見が期待できず、島全体に分布する少人数の埋葬地(BURY)に着目した公文書調査が重要であるという結論。

日本兵1万人はどこへ…硫黄島「滑走路下」に多数の遺骨が眠っているのか「ひとつの答え」

なぜ日本兵1万人が消えたままなのか、硫黄島で何が起きていたのか。

民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸し、日米の機密文書も徹底調査したノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』が11刷決定と話題だ。

ふだん本を読まない人にも届き、「イッキ読みした」「熱意に胸打たれた」「泣いた」という読者の声も多く寄せられている。

硫黄島の滑走路の下には多数の遺骨が眠っている。長年ささやかれてきた滑走路下残存説に対して、阿久津氏は懐疑論を口にした。その理由を二つ挙げた。

一つは、データの不存在だ。

「結論から言うと、現時点の資料調査に基づけば、2000体の集団埋葬地以上に大きいような集団埋葬地が滑走路の下とかにあるということは絶対ないです。縦横斜めに相当資料を突き詰めていって、一つもぶちあたっていないですから」

集団埋葬地について文書を徹底調査しても、滑走路下に存在することを示す資料は見つからなかった。だから、滑走路西側の2000体のようにまとまった形で見つかることはない、という考え方だ。

もう一つとして挙げたのが米国滞在中、米国国防総省捕虜・行方不明者人員調査局(DPMO)を訪問した際のエピソードだ。DPMOで「ヒストリアン」と呼ばれる専門家と会談する時間が設けられた。米軍が滑走路下に日本側戦没者を埋葬した可能性について話が及んだとき、ヒストリアンはきっぱりとこう言ったという。「われわれだって滑走路の下にそんな遺体なんて埋めないよ。気持ち悪いじゃないか」。

むしろ滑走路として整備される予定地を外すように、集団埋葬地の場所を選んだ、という印象を阿久津氏は強めたという。戦後70年が過ぎても1万人が見つからないのは、滑走路に大勢埋まっているからだと考えるのはある意味、自然なことだ。ただ阿久津氏は、こうした考え方は「滑走路神話」であるとし、「(神話を)一度ぬぐって、資料に基づいて調査することをしなかったら、多くのご遺骨は見つからない」と指摘した。

では、資料に基づく調査とは具体的に何を指すのか。

阿久津氏は「BURY」の話を始めた。

阿久津氏は米国での公文書調査を終えて帰国後、菅氏にこんな報告をしたという。

「(菅氏が)データに基づいて滑走路の下に(遺骨は)あるのかって言うから、私は『データ上、そういうドキュメントは出てきていない』と言い切りました。ただし『BURYはある』と。そのBURYが滑走路の下にもかかっている、つまり硫黄島のどこにあるのかという大まかな地図は発見したと」

「BURY」とは日本語で「埋める」という意味だ。特命チームは公文書の調査で、米側部隊が日本側部隊と交戦し、殺害した日本兵を交戦した場所に埋めていた、という実態に辿り着いた。

BURYとは、大人数を埋めた集団埋葬地とは異なり、3~4人などの少人数をくぼみや壕に埋めた箇所である、という認識を持った。そのBURYがどこにあるかを記録した地図を特命チームは発見したのだった。ただ、滑走路のエリアはBURYが少なかったという。

つまり、阿久津氏の見方はこうだ。

仮に滑走路を移設して地中を調査した場合、このBURYの範囲で遺骨は見つかるだろう。ただし、BURY1箇所から見つかる遺骨は数人単位だ。滑走路西側で見つかったような2000人を埋めたとする集団埋葬地は存在しないのだから、滑走路下を調査しても大幅な進展がある可能性は限られている。

確証なき滑走路下調査よりも大事なのは、島全域に分布するBURYの公文書調査だ。調査が進めば集団埋葬地のときのように、個々のBURYの緯度経度を記した資料が見つかることもあり得るのではないか。