九州豪雨4年「あの日の『まさか』、いつまた起きるかわからない」…当時の消防団長が早期避難訴え

AI要約

2020年7月の九州豪雨で被害を受けた熊本県人吉市で追悼式が営まれ、遺族らが参列。消防団長が早期避難の重要性を訴える。

豪雨当日の様子を振り返り、浸水した自宅の中で家族を守るために奮闘する丸尾喜世人さんの体験が描かれる。

消防団員の活躍も紹介され、多くの命を救った一方で、未曾有の豪雨に対する団員たちの限界も示唆される。

 熊本県を中心に、81人の死者・行方不明者を出した2020年7月の九州豪雨から4日で4年となるのを前に、甚大な被害が出た同県人吉市で30日、市主催の追悼式が営まれた。遺族ら30人が参列し、犠牲となった人たちを悼んだ。当時、消防団長だった丸尾喜世人さん(75)は市民を代表して追悼の言葉を述べ、「あの日の『まさか』が、いつまた起きるかわからない」と早期避難の大切さを訴えた。(山之内大空)

 4年前の7月4日早朝、精肉店を営む丸尾さんは増水した球磨川を見て、いつもより早く配達を済ませようと家を出た。前夜から雨は降っていたものの、いつもの大雨だろうと思っていた。ただ、配達先を回っている中で球磨川が氾濫。気が動転し、どうやって家にたどりついたかなど、今でも思い出せない。

 自宅は浸水し始めていた。近所に避難を呼びかけ、自分と妻、同居していた義姉の命を守ることに必死だった。幸いにも家族は無事だった。消防団の動きは気になっていたが、広範囲の浸水で動けなかった。

 約380人の団員たちは、それぞれ奮闘していた。下林聖侍さん(46)は、球磨川と支流の万江川に囲まれた地区で避難を呼びかけ続けた。万江川の堤防から水があふれ、反対から球磨川の水も迫る。団員たちも避難しようとしたその時、つえをついた高齢女性が自宅から出てくるのに気づいた。女性の手を引き、衣装ケースなどを重ねて階段代わりにして住宅の屋根に上がり、なんとか難を逃れた。「あのままだと恐らく女性は流されていた」

 中矢野恭範さん(48)も、逃げ遅れた高齢女性を避難場所まで連れて行った。水の勢いは想定を超えていた。救助にあたった人の中にも取り残されて屋根の上に避難した人がいたといい、「いつまで避難誘導を続けるか判断は難しかった」と振り返る。

 丸尾さんが「誰が命を落としてもおかしくない」と言うほど厳しい環境で、団員たちは多くの命を救ったものの、未曽有の豪雨に対し、出来ることには限界があった。