負債9億円「イカ王子」の“光と影”の半生 金髪ニーチャンが「復興の星」となり破産、そして再生するまで

AI要約

宮古市の水産加工会社代表取締役が「イカ王子」として知られる鈴木良太さんが再生の道を諦めず、スポンサーを見つけて事業再生を果たす過程が描かれている。

イカの不漁に見舞われた日本全体に影響が及び、「共和水産」も民事再生法の適用を申請する事態に。鈴木さんがスポンサー型での再建に取り組む中、供給過多の状況や高騰する原材料費に直面する苦境が描かれている。

過去には遊びに明け暮れる生活を送っていた鈴木さんが、地元の水産業に携わる道を選び、常に再生を信じる姿勢が生きる活力をもたらすストーリー。

負債9億円「イカ王子」の“光と影”の半生 金髪ニーチャンが「復興の星」となり破産、そして再生するまで

 イカ王子――東日本大震災後、岩手県宮古市の水産加工会社「共和水産」代表取締役専務の鈴木良太さん(42)はそう名乗り、自ら王冠をかぶってテレビや新聞にたびたび登場した。「イカ王子」の存在は知れ渡り、甚大な被害を受けた町も活気を取り戻しつつあったが、今、日本は過去最悪の不漁に見舞われている。資金繰りが悪化する水産業者が続出し、「共和水産」も昨年10月に民事再生法の適用を申請した。だが鈴木さんはそんな状況でも“再生”の道を諦めなかった。何度転んでも立ち上がる「イカ王子」の一代記。

*  *  *

「6月になってやっとスポンサーが見つかり、ようやく事業再生の道が開かれました」

 岩手県宮古市の水産加工会社「共和水産」代表取締役専務の鈴木良太さん(42)は、そう言って胸をなでおろす。

 東日本大震災で大きな被害を受けた宮古を立て直そうと、鈴木さんは自ら「イカ王子」と名乗り、イベントや営業に奔走してきた。メディア出演の話があれば、金色の王冠をかぶりイカのTシャツを着て登場し、地元の水産品をアピールした。とにかく目立って宮古の水産業の“広告塔”になればいいと思いながら活動してきたが、最初は「30代の大人が何してるんだ」「DJ魚屋かよ」など心無い批判も浴びた。

 それでも「本当においしい宮古の水産物を味わってほしい」という一心で活動を続け、宮古の新鮮なタラを使った「王子のぜいたく 至福のタラフライ」を開発すると、ネットの通販サイトで最長3カ月待ちとなる人気商品となった。少しずつ宮古の復興も進み、町にも活気が戻りつつあったが、その一方で、日本全体は記録的な不漁に悩まされていた。

■昔はピアスに金髪のツンツン頭

 農林水産省の統計によると、2022年の漁業と養殖業を合わせた生産量は391万6946トンで、前年比マイナス5.8%。統計を取り始めた1956年以降、過去最低を記録した。ピーク時に比べて長期的な減少が目立つのは、サンマ(1958年比マイナス96.8%)、スルメイカ(1968年比マイナス95.4%)、タコ類(1958年比マイナス78.3%)など。イカを主力に扱う鈴木さんの「共和水産」も大きな打撃を受けた。イカの漁獲量が少なくなったことで価格が上がり、原材料費は高騰した。利益が圧迫されたことに加え、エネルギー価格の急騰も重なり、資金繰りが悪化していった。結局、2023年10月に負債総額約9億1800万円を抱え、盛岡地方裁判所に民事再生法の適用を申請した。

「せっかく、(震災を)乗り越えたのに……」

 当時、鈴木さんは記者にも沈痛な気持ちを明かしていた。

 民事再生で経営を立て直す方法としては、「自力再建型」「スポンサー型」「精算型」の3つがあるが、「共和水産」は毎月ごとに赤字が膨らんでいたことから、自力再建は断念。鈴木さんは「スポンサー型」での再建を目指した。

 それから8カ月間。なんとか会社を“再生”させるために、今度はスポンサー探しの旅が始まった。

 鈴木さんは1981年、4人兄弟の三男として宮古市で生まれた。小さいころから、「共和水産の息子さんね」と地域の人たちには知られた存在だった。

 中学、高校は宮古市内の公立学校へ通い、6年間、軟式テニス部で活躍。高校では県大会で3位になるほどの腕前で、2000年4月にはスポーツ推薦で仙台市にある大学へ進学した。

「大学に入って初めて華やかな都心での生活を知りました。そのぶん、遊びたい気持ちが強かったですね」(鈴木さん、以下同)

 大学に進学したものの、遊びやバイトに明け暮れた日々を過ごし、進級時に単位が全く取れず、02年の春に大学を自主退学した。その後は、仙台市の繁華街・国分町にあるダイニングバーで働いた。

「その時は耳や鼻にピアスをつけて、金髪のツンツン頭でした。毎日、遊びほうけていましたね。地元(宮古市)では『あいつはホストになったんか』というウワサが流れていたみたいです」