「仁徳天皇陵」と万世一系の神話

AI要約

天皇と伝統文化についての研究者の高木博志教授によるインタビュー。天皇制と伝統の関係、大嘗祭の変遷、万世一系の概念などについて解説。

天皇制は特定の家が世襲する王権であり、神話が不可欠。神話は非合理な制度を支える政治的手段でもある。

象徴天皇制の枠組みを逸脱する天皇のあり方や、歴史認識に関する必要性についても言及。

「仁徳天皇陵」と万世一系の神話

 「日本の伝統である天皇」は何を意味しているのでしょうか。「近代天皇制と伝統文化」の近著がある、京都大学人文科学研究所教授の高木博志さんに聞きました。【聞き手・須藤孝】

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 ――天皇はいつも伝統と結びつけて語られます。

 高木氏 伝統といっても内容は時代で変わります。大嘗祭(だいじょうさい)で使う米を収穫する斎田は、令和では栃木県と京都府から選ばれました。しかし、江戸時代は丹波と近江でした。京都から近い場所にして費用を少なくしたのです。明治維新以後に再び全国から選ぶようになったのは、中央集権国家であることを強調するために古代の理念を復興したからです。

 ――大嘗祭は古代以来の伝統とよく言われます。

 ◆大嘗祭は本来は、農耕祭祀(さいし)であるだけでなく、天皇が神になる儀式で、戦前はそれが公式見解でした。儀式次第や大嘗宮のしつらえなどは戦後も変わっていないのですが、現在の政府見解では、宗教性のない農耕儀礼とされています。これも新しい「伝統文化」です。伝統文化は時の政治にあうような形に再構築、創造されるものなのです。

 ――万世一系という考え方も同じですね。

 ◆万世一系という言葉自体、立憲制とともに定着したものです。120代を超える天皇陵のすべてが決定されるのは、大日本帝国憲法発布の年(1889年、明治22年)です。架空の神武天皇からの天皇の系譜、万世一系を目に見えるようにすることは、明治の国家プロジェクトでした。日本が国際社会にうって出るときに、独自の歴史や伝統が必要だったためです。中国(当時は清)のような征服王朝ではなく、ずっと続いているという神話が、「一等国」になるために必要でした。

 いわゆる仁徳天皇陵(大山=だいせん=古墳)をふくむ5世紀を主とする百舌鳥・古市古墳群(大阪府)は大王墓ではありますが、天武朝以降の天皇の系統に直接つながるわけではありません。「一系」ではないことは戦後の古代史研究では常識です。

 ――百舌鳥・古市古墳群が2019年に世界遺産になった際は、「仁徳天皇陵古墳」などとして登録されました。

 ◆そもそも5世紀には天皇諡号(しごう)が確立していませんし、埋葬されている大王が、仁徳天皇にあたる大王かも諸説あります。教科書でも遺跡名称の大山古墳と併記されています。

 ところが「○○天皇陵古墳」で登録しました。非科学的な万世一系の考え方そのままに世界に発信しました。史実と神話を区分けする戦後歴史学と考古学の成果をないがしろにしています。

 もっとも仁徳天皇陵という名称は、ここ130年ぐらい使われてきたわかりやすいものです。明治に決められた天皇陵も新たな伝統の一つと考えれば、当面は大山古墳(仁徳天皇陵古墳)とすればよいと考えます。歴史を学び、知ってもらったうえで楽しめばよいのです。

 ――天皇制には神話がつきものです。

 ◆天皇制は、特定の家が貴種とされて世襲する王権です。民主主義とは矛盾する身分制を近代で存続させるためには、天皇を特別な存在とする神話が不可欠です。今も天皇は、即位や結婚などを神武天皇に報告します。非合理な天皇制を存続させるためには、非合理な神話がいるのです。

 ――神話が政治的な力を発揮することがあります。

 ◆かつて神武天皇が実在したかのように教えたのは、君臣の道徳を史実より優先したからです。今の日本は戦前と同じではありませんが、問題がないわけではありません。

 平成になって拡大したと指摘される、祈りを重視する天皇のあり方は象徴天皇制の枠組みを逸脱している部分があります。大嘗祭は宮中祭祀の集大成といえるものです。天皇の日常の費用にあてる内廷費から支出するべきです。しかし、令和の大嘗祭も公費(宮廷費)から支出されました。また、伊勢神宮内宮を全国の神社の頂点に位置づけたのは明治国家です。首相が伊勢神宮に参拝するのもその流れにあります。

 象徴天皇制が国民主権のもとにあることを考え、各自の歴史認識をはっきり持つためには、その来歴と、今日の役割を知っておく必要があります。(政治プレミア)