市川團子、スーパー歌舞伎でヤマトタケルを演じることへの思いとは<令和を駆ける“かぶき者”たち>

AI要約

若手歌舞伎俳優、市川團子さんがスーパー歌舞『ヤマトタケル』の主演に抜擢されるなど、歌舞伎の未来に奮闘する姿を紹介。

『ヤマトタケル』は日本神話を基にした作品で、團子さんは大碓命と小碓命、後にヤマトタケルを演じている。

團子さんは大学生としても活躍し、論理的思考力を高めた授業が歌舞伎の理解にもつながっている。

市川團子、スーパー歌舞伎でヤマトタケルを演じることへの思いとは<令和を駆ける“かぶき者”たち>

江戸時代の初期に“傾奇者(かぶきもの)”たちが歌舞伎の原型を創り上げたように、令和の時代も花形歌舞伎俳優たちが歌舞伎の未来のために奮闘している。そんな彼らの歌舞伎に対する熱い思いを、舞台での美しい姿を切り取った撮り下ろし写真とともにお届けする。ナビゲーターは歌舞伎案内人、山下シオン

 歌舞伎俳優にとって、子役から大人の役へと移行する大事な時期にある市川團子さんは現在、20歳。そんな彼が2024年は2月、3月に東京・新橋演舞場で上演されたスーパー歌舞『ヤマトタケル』の主演に中村隼人さんのダブルキャストとして抜擢された。そして5月の名古屋・御園座での再演では、早くも単独で主役を勤め、6月は大阪松竹座の再演が控えている。若くして舞台の真ん中に立つことに、團子さんはどんな思いを抱いているのだろうか?

 スーパー歌舞伎『ヤマトタケル』は團子さんの祖父、三代目市川猿之助(後に二代目市川猿翁)から依頼された哲学者の梅原猛が日本神話の日本武尊の伝説を基に脚本を手がけて1986年に初演され、歌舞伎の新しいジャンルを切り拓いた第一作目である。

 物語は謀反を企んでいる双子の兄、大碓命(おおうすのみこと)を誤って手にかけてしまった弟の小碓命(おうすのみこと)は、事実を伏せたために、父である帝の怒りを買い、一人で熊襲の国を征伐するという役目を与えて大和の国から追放されるところから始まる。兄橘姫(えたちばなひめ)は夫・大碓命の仇討ちをしようとするが、小碓命の優しい人柄を知り、恋い慕うようになる。小碓命は熊襲のタケル兄弟を倒して、その武勇を称えて「ヤマトタケル」という名を与えられる。そして討伐に成功して喜んで都へ帰るのだが、帝の許しを得ることができず、さらに蝦夷征伐を命じられ、道中では愛する弟橘姫(おとたちばなひめ)が嵐を鎮めるために犠牲となるなど、試練が続いていく……。最後は伊吹山の山神退治で深手を負い、とうとう息絶えてしまったヤマトタケルは、大きな白鳥の姿になって「天翔る心、それがこの私だ」と言いながら、飛び立っていくという感動的な場面で幕を閉じる。6月の松竹座では團子さんは、この大碓命と小碓命、後にヤマトタケルを演じている。

──5月17日に名古屋・御園座にて取材

スーパー歌舞伎『ヤマトタケル』に出演することが決まったときはどんな心境でしたか?

團子: ただ、ただ、放心状態でした。『ヤマトタケル』は子どもの頃から見ていて、かっこいいなと思っていたので、まさか自分がそのヤマトタケルを演じさせていただくことになるとは全く考えていませんでした。放心状態は今も続いています。

──2012年6月に新橋演舞場で市川團子を襲名し、初舞台に立ったときはスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』でヤマトタケルの息子であるワカタケルを演じられました。当時のことで覚えていることはありますか?

團子:はい、「女ではない。私は男だ」という小碓命の台詞や音楽などを覚えています。また初めてのことばかりでずっと興奮していて、舞台裏でいろいろな方のお部屋に行って遊んでいただいたことも覚えています。当時はまだ“演じる”という感覚がなかったので、”ワカタケルをこういうふうに演じよう“という気持ちはありませんでした。はっきりとした記憶ではないのですが、その時観たり聞いたりしたものを、ふと思い出します。

──小碓命は19歳なので、團子さんとはまさに同世代です。今、この役を演じることに何か意味のようなものはあるとお感じですか?

團子:先輩から言っていただいて気づけたことがあります。最後にヤマトタケルが死ぬ場面での台詞は、発し方によっては言い訳がましく聞こえることもあるけれど、若い人が言うことによって、そういう風には聞こえなかったとおっしゃってくださいました。もし自分の若さが舞台にプラスの印象を与えることができているのであれば、とても嬉しいです。しかし、初演時に46歳だった祖父が演じたヤマトタケルの立ち廻りの動きは全然速くて、改めて祖父の偉大さを痛感しています。

──スーパー歌舞伎『ヤマトタケル』で主役を演じることは、昨年初役で勤めた『義経千本桜』の忠信を演じたときとはアプローチの仕方は違うのでしょうか?

團子: 違わないと思います。去年の8月の歌舞伎座と9月の南座で上演された『新・水滸伝』で彭玘(ほうき)を演じたときは、市川青虎さんが以前になさっていた映像を観て、また、お稽古場でも演技や動きについて教えていただきました。この公演中に気づいたことがあります。それは台本を読む時に、書かれていないことを想像したり、どうしてこういう気持ちになったんだろうと考えるようになったことです。そういう意味で、ほんの少しですが、今回のヤマトタケルでは自分で考えた部分もあるのかなと思います。

──すでに2月と3月に新橋演舞場でヤマトタケルを演じる経験を積まれましたが、実際に演じて、回を重ねることで実感したことはありますか?

團子:東京では上演時間の3時間、ずっと無我夢中で演じていました。しかし、先輩から「相手の芝居を受けたり、緩急をつけたりすることも大切」ということを教えていただき、例えば兄橘姫が敵を討とうと襲いかかってくる“明石の浜”の場面では、少し抑えるようにしました。気を抜くということではなく、肩に力が入ってガチガチになっていると緊張しっぱなしになってしまうので、抑えるところも作るということに、5月の公演では挑戦しました。

──お祖父様が会報誌に綴られた芸談を参考にされたところはありますか?

團子:祖父が1998年に『ヤマトタケル』を最後に演じたときの経験として「アクセルとブレーキが完備した」ということを、後援会の会報誌に書いていました。これは先ほどの「抑えるところを作る」ということにも通じることだと思います。大阪松竹座では、もっとしっかり緩急をつけられるように日々挑戦していきたいです。

──楽屋にはお祖父様の写真などが飾られていますか?

團子:以前ヤマトタケルの台詞にもある「天翔る心」という言葉を祖父が書いた色紙をくれて、それを飾っています。

──相手役の兄橘姫と弟橘姫は、新橋演舞場では中村米吉さんが演じ、御園座では中村壱太郎さんが演じました。二人の姫にはどんな印象を持ちましたか?

團子:僕は同じ役を違う人が演じるという経験をしたことがなかったので、同じ台詞を聞いているのに印象が変わったことに、とても驚きました。お二人の演じる兄橘姫と弟橘姫が全く違うということが、衝撃的だったんです。キャストの組み合わせが違うことでよく“化学反応が起きる”と言われますが、まさにこういうことを意味するのだと思いました。特に弟橘姫が入水する場面では、本当に全く違う人物という印象を受けました。壱太郎さんと米吉さんのイメージがそのまま弟橘姫に反映されていて、お二人の色を別々に受け取ったような印象でした。

──御園座、大阪松竹座と地方公演が続きますが、旅の公演ではどんなことを楽しみますか?

團子:名古屋ではホテルに帰って、ご飯を食べて、すぐに寝てしまっています。睡眠が好きなんです(笑)。地方だといつもとは環境が違うので、なるべく睡眠は取りたいと思っています。

松竹座のお舞台に出演させていただくのは今回が初めてなのですが、祖父が会報誌で、松竹座は音響が素晴らしいと書いていたので、そのお舞台に出させていただくことが、すごく楽しみです。

──現在大学に在学中なので舞台との両立は大変だと思いますが、学業にも取り組むことには、どんなことが良かったと思いますか?

團子:大学では歌舞伎の授業を取っているのですが、歌舞伎を客観的に、そして論理的に観ることができる講義がすごく面白いです。台本を読むことにも論理的な視点も必要だと思いますが、大学の授業でレポートを書くことが論理的な思考能力の向上に繋がって、台本を読み解く力になっているかもしれないと思います。残りの学生生活では、芸術の学科なので、歌舞伎に限らず、他の分野の芸術の知識を学ぶことができたら嬉しいです。

──最後にスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』を初めてご覧になる方にはどんなところをオススメしますか?

團子:ほぼ現代語で歌舞伎を観たことがないという方にも分かり易く観ていただけると思います。この作品には、親子の葛藤、兄弟の葛藤、男女の愛情、友との友情、自分はどう生きるのか、戦に対しての考え方など、人間の普遍性がすべて詰まっています。立廻りあり、早替りあり、宙乗りありと視覚的にも面白く、衣裳も本当に綺麗で、どの世代の方にも楽しんでいただけると思います。毎日、進化できるように頑張りますので、ぜひ観ていただけたら嬉しいです!

市川團子(ICHIKAWA DANKO)

東京都生まれ。父は九代目市川中車、祖父は二代目市川猿翁。屋号は澤瀉屋2012年6月、新橋演舞場でスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』のワカタケル役で五代目市川團子を名乗り、初舞台。2013年10月、国立劇場『春興鏡獅子』の胡蝶の精で、国立劇場特別賞を受賞。現在、大学3年生に在籍中