狭すぎて開発頓挫の「鍾乳洞」 半世紀前の“ロマン”が30年の時を経て実現!? 奥三河の「洞窟探検ツアー」に密着

AI要約

2024年5月、愛知県東栄町の鍾乳洞「古戸(ふっと)の風穴」に始まったケイビングツアー。かつて計画がストップした観光地化が再び注目されている。

半世紀前に発見された古戸の風穴は、狭くて暗い洞窟がケイビング探検に最適な環境であることが魅力。地元の思いが30年の時を経て実現した。

鍾乳洞の発見者、地主の伊藤明博さんが父の逸雄さんであり、地元の人々の夢だった観光地化が実現するまでのストーリー。

狭すぎて開発頓挫の「鍾乳洞」 半世紀前の“ロマン”が30年の時を経て実現!? 奥三河の「洞窟探検ツアー」に密着

2024年5月、愛知県東栄町の鍾乳洞「古戸(ふっと)の風穴」を巡るケイビング(洞窟探検)ツアーが始まりました。

この鍾乳洞が見つかったのは半世紀近く前の1976年。当時、町は観光地化を目指したものの、狭すぎるとして計画はストップしました。

しかし、ケイビングには洞窟の“狭さ”も大きな魅力。手つかずの狭くて暗い洞窟を泥まみれになりながら進むと、絶景が見られます。奥三河に生まれた新たな観光を取材しました。

■開発断念から約30年… 地元の思いがついに実現

古戸の風穴は、名古屋から約2時間の奥三河の山奥にある鍾乳洞。鉄格子で閉ざされた入り口の先は、総延長約1200メートルの空間が広がっています。

山の持ち主で鍾乳洞の地主の伊藤明博さんによると、発見したのは父の逸雄さん。

きっかけは約50年前に岐阜県の飛騨大鍾乳洞を訪れた逸雄さんが、観光客で賑わう光景に衝撃を受けたこと。

「自分の山も同じ石灰岩なので、鍾乳洞があるかもしれない」と、小さな穴を掘り進めたところ、鍾乳洞が見つかったそうです。

(「古戸の風穴」の地主・伊藤明博さん)

「父が山を歩いていたら、直径30センチくらいの穴が出てきて。人力で掘っていったら、鍾乳石らしきものが出てきた」

鍾乳洞の発見は当時、人口6000人あまりの町で大ニュースになりました。観光資源にとぼしい奥三河地域にとっては、願ってもない朗報。

多くの地元の人たちが関わり、観光地化の構想が動きました。

しかし、飛騨大鍾乳洞のような歩道や手すりの整備が計画されましたが、洞窟の狭さもあり、難工事で莫大な費用がかかることが分かりました。

結局、開発は頓挫し、地元の人たちの夢だった観光地化はストップしてしまいました。

しかし、開発断念から約30年たった2024年5月12日…

■洞窟探検のケイビングに“もってこいの場所”だった

古戸の風穴の前では、鍾乳洞に入る人たちがけがをしないよう、安全祈願祭が行われていました。