「京急蒲タコハイ駅」看板撤去騒動、悪いのはどう見ても「京急」「サントリー」側だ! その理由を冷静に分析する

AI要約

京急蒲田駅で京急電鉄とサントリーがコラボレーションした「京急蒲タコハイ駅」をめぐる広告問題が発生。

広告はNPOなどから抗議を受け、京急は対応に追われる。

公共空間での広告のあり方や自主基準などが議論される結果となった。

駅名を商品名として使用することの問題性や、駅まち空間における公共性の重要性が指摘される。

広告規制や企業との協力に関する問題が浮き彫りになった。

地域の歴史や住民の記憶を尊重し、公共空間での広告や改名などは慎重に検討すべきである。

共有財産に対する配慮やまちづくりの視点について考える必要がある。

「京急蒲タコハイ駅」看板撤去騒動、悪いのはどう見ても「京急」「サントリー」側だ! その理由を冷静に分析する

 京急電鉄とサントリーがコラボレーションした「京急蒲タコハイ駅」をめぐり、公共空間である駅の広告のあり方が改めて問われている。

 京急蒲田駅の駅名看板や装飾を「こだわり酒場のタコハイ」とコラボレーションさせた同企画に対し、アルコール依存症予防のNPO法人「ASK(アルコール薬物問題全国市民協会)」と主婦連合会が

「公共性を無視している」

と抗議。京急側は一部看板の撤去など規模を縮小する事態となった。

 もともとは、飲み屋街として有名な蒲田を盛り上げようと企画されたイベントで、蒲田名物の餃子やタコハイを楽しめる酒場をホームや構内にオープンしていた。看板は撤去されたが、酒場は営業を続ける予定だ。インターネット上では

・目酒場は節度を楽しむ人のためのものであり、それは立派な公共性だ

・気に入らないものに何でもかんでも抗議するのはハラスメントの一種だ

・イベントがなくなることをよしとする風潮は日本の衰退を予感させる

などといったような、NPOの主張に疑問を呈する声が多く上げられ、大炎上した。しかし筆者は問いたい。私企業の運営する鉄道とはいえ、公共空間である駅の、それも駅名をアルコールの販促に用いることをは、どう判断するべきなのかと。

 国土交通省の資料『駅まちデザインにおいて意識すべきこと』では、駅まち空間について次のように述べている。

・駅まち空間は、目的の異なる不特定多数の人が集まり、移動や滞在を行う空間である

・多様な人々のニーズを満たすため、駅まち空間全体を移動しやすく、活用しやすい環境にすることが求められる

・公共性の高い駅まち空間においては、宣伝広告について慎重な対応が必要とされている

つまり、国交省は駅空間を公共性の高い場所と位置づけ、広告などについては

「慎重であるべき」

との立場を取っているのだ。

 国交省の指針を踏まえれば、京急の“駅ジャック”は明らかに行き過ぎだといわざるを得ない。アルコール飲料とのコラボレーションによる露骨な演出は、公共空間の品位を著しく損なうものだからだ。

 しかも、この問題は酒類業界の自主基準にも抵触している可能性がある。酒類の広告審査委員会が定める「酒類の広告に関する自主基準」では、

・過度の飲酒につながる表現

・危険な場所での不適切な状況での飲酒を誘発する表現

を用いてはならないとしている。

 駅名を用いた広告が、こうした自主基準に逸脱しているかどうかは議論があるだろうが、常日頃から

・飲酒による事故

・泥酔者による暴力

などの危険にさらされている鉄道駅が、飲酒を推奨することは戒められるべきだろう。

 また、今回の問題に通底するのが、全国の公共施設で広がりつつあるネーミングライツだ。近年、自治体の財源確保策として、公共施設の命名権を企業に売却するケースが増えている。この効果について、関西大学の水野由多加教授の論文「ネーミングライツ(命名権)についての断章」(関西大学『社会学部紀要』第49巻第1号)は、次のように指摘している。

「ネーミングライツにおいては、売買の対象となる施設の社会的認知の高さなどから、『大衆社会の耳目を惹き付ける機会』そのものに経済的価値が見出される。しかし、はたしてそれを単なる経済取引として割り切っていいものだろうか」

 さらに、この論文では企業名への変更が「住民の記憶」を侵食しかねないことも指摘し「多くの人々の共同性のある想念」を

「広告価値」

に転化することの是非が問いかけられている。この指摘は、まさに京急蒲田駅の「タコハイ」問題の本質を突いている。

 京急蒲田駅は、単なる交通インフラではない。長年、地域住民に親しまれ、まちの記憶や物語を紡いできた、

「かけがえのない共有財産」

なのだ。たとえ一時のこととはいえ、その駅名を、一企業の商品名に置き換えてしまうことは、住民の思い出を踏みにじり、まちの歴史をゆがめてしまう暴挙と言わざるを得ない。筆者は酒飲みの聖地・蒲田というイメージは否定しない。だが、それはあくまで蒲田の一面に過ぎず、

「まちの全てを表すもの」

ではない。現在の蒲田は、新たな顔を見せ始めているのだ。