時代を変えたゲームチェンジャー、公道最強を誇った初代ヤマハYZF-R1

AI要約

スーパーバイク世界選手権のレギュレーションを打破した初代YZF-R1は、バイク界におけるゲームチェンジャーと呼ばれる存在だった。

CBR900RRやZX-9Rといったモデルを凌駕するYZF-R1は、150PSの最高出力と177kgの軽量な車体を持ち、ツイスティロードでの最高速を追求した。

初代YZF-R1は乗り味の楽しさや扱いやすさといった面でも高い評価を受け、他メーカーのテストライダーすらも魅了した。

時代を変えたゲームチェンジャー、公道最強を誇った初代ヤマハYZF-R1

「ゲームチェンジャー」という言葉がある。元々はスポーツ用語で、試合の流れを一気に変えてしまう選手のことを言うのだが、それまでのスポーツバイクの常識を打ち壊した初代YZF-R1は、バイクの世界においてゲームチェンジャーと呼ぶに相応しい存在だ。

1988年から2002年まで、市販車ベースレースの最高峰であるスーパーバイク世界選手権のレギュレーションでは、4気筒エンジンの最大排気量は750ccであった。それ故750cc以上のスポーツモデルは本格スポーツモデルというよりも、ハイスピードツアラー的なモデルが主流となっていた。それは、その中でも最もスポーティなイメージが強いヤマハのYZF1000R サンダーエースですら、5速のワイドレシオギアを採用していたことに象徴されている。つまり、4気筒スーパースポーツの最高峰は750ccであり、RC30やOW-01といったレースベースモデルが生み出されていた。そこにホンダが投入したのは、900ccという他社よりも少し小さめの排気量でありながら、コンパクトで軽いエンジンをレーサーレプリカと呼べる車体に搭載した「CBR900RR」だった。1992年登場した初代CBR900RRは最高出力124PSと他メーカーのフラッグシップモデルには劣るものの、乾燥重量185kgと600cc並に抑えられた重量によって大排気量スーパースポーツの扉を開いた。それに続いたのはカワサキで、ZXR750のエンジンを899ccまで排気量アップした139PSのエンジンをコンパクトな車体に搭載した、ZX-9Rを1994年に発売。しかし、乾燥重量は215kgあり、スーパースポーツというよりも、高速でのクルージング性能なども考慮したオールラウンダー的な仕上がりとなっていた。

絶対的な出力か、それとも排気量や出力を削っても軽量な車体か、フラッグシップモデルという立場のバイクについてホンダの提案は各メーカーの開発に大きな影響を与えることとなった。CBR900RRはライバル不在のまま独自路線的な立ち場で進化を続けてきたが、1997年のミラノショーで世界中のライダーが目を疑うようなスペックを持つ1台のバイクがヤマハから発表された。それこそ最高出力150PS、乾燥重量177kgというスペックの初代YZF-R1、4XV型だ。当時、馬力においてはCBR1100XX スーパーブラックバードが164PSで頂点に立っていたが、それまで公道最速と言われていたZZ-R1100の147PSを凌駕し、重量においては同時期のCBR900RRの乾燥重量183kgよりも5kgも軽かったのである。4気筒の1,000ccバイクがサーキットで戦うカテゴリーが無かった時代に誕生したYZF-R1は、サーキットでのタイム短縮よりも公道での走行性能や扱う楽しさに重きを置いて開発され、そのコンセプトはズバリ「ツイスティロード最速」だった。その乗り味は「速さ」と「楽しさ」を両立しているのはもちろん、コンパクトな車体と扱いやすいエンジンは初心者ですら許容する懐の深さを持っていた。筆者は初代YZF-R1が発売された当時、あるメーカーのテストライダーがこんなことを言ったのを覚えている。「あれ(YZF-R1)は乗っていて楽しいね。ウチが作るとああはならないんだよね」と。「ツイスティロード最速」という初代YZF-R1は、他のメーカーのテストライダーをしても「楽しい」という印象が最初にくるバイクだったのだ。