「死」という新たなマーケットに注目。渋谷の「Deathフェス」が大盛況のわけ

AI要約

2020年のコロナ禍をきっかけに死について意識し始めた筆者。死が身近なものであることに気づく。

2人の女性起業家によるDeathフェスでの挑戦から、死とそれにまつわるマーケットの可能性を考える。

Deathフェスの実現に向けた取り組みや企業からの協賛難しさについて。

「死」という新たなマーケットに注目。渋谷の「Deathフェス」が大盛況のわけ

死は思ったよりもすぐそばにある――。

筆者が死について意識し始めるようになったきっかけは、2020年のコロナ禍だった。目に見えないウイルスによって、自分や身近な人が明日にでも死ぬ可能性が高まった。死は想像以上に身近なものなのだと、はたと気がついたのだ。

実際、同じように死に対する価値観が変化した人も多かったのであろう。コロナ禍以降、新たなスタイルの葬儀や埋葬、デス・テックの話題を目にすることが増えた。

超少子高齢化に向かう日本では、当然ながら同時に、死亡数が急増する「多死社会」に突入する。年間死者数は、2040年の約170万人をピークに長い期間の高止まりが予測*されている。

それでも依然として、こんなにも身近な死について考えるきっかけが少ないのはなぜなのだろう。死について考えるのは、後ろ向きでいけないことなのだろうか。

今、そんな死に対する価値観を塗り替えようとしている取り組みがある。死の祭典「Deathフェス」だ。今回は2人の女性起業家によるDeathフェスでの挑戦から、死とそれにまつわるマーケットの可能性を考えていく。

*「令和5年版高齢社会白書 第1章 高齢化の状況(第1節 1)」より

■死は特別なものではない

2024年4月、渋谷ヒカリエで“死”をテーマにした祭典「Deathフェス」が6日間にわたり開催された。

目的は、死を“生と地続きのもの”として捉え直すことにより、日本に生と死のウェルビーイングを広めること。フェスではトークセッション、ワークショップ、企画展示という3つの領域で40コンテンツを展開。そのポップでユニークな切り口は、TVやラジオ、新聞など多くのメディアで取り上げられ、SNSでの口コミも人を呼び、約2000人が訪れる大盛況となった。

“死“というキーワードはかなり重くインパクトあるものだが、起業家として活躍する市川望美さんと小野梨奈さんの2人によるその始まりは、意外にもとても軽やかなものだった。

「きっかけとして、死にまつわる何か個人的な出来事があったというわけではないんです。よりよく生きるとか自分らしく生きるとか、人生における選択に興味を持って事業活動を続けてきました。その中で、死というキーワードを使ってエンディングから考えると違う発見があると気づいて」と市川さん。

一方、小野さんは2019年にアメリカで合法化された有機還元葬をなんとか日本でも実現できないかと考えていた。そんな折、市川さんの会社が企画するワーケーションプログラムで有機還元葬を含むエンディングの話題で盛り上がったことで、2人の間で「死をテーマにしたフェス」のアイデアが生まれる。

市川さんと小野さんは、東日本大震災当日に偶然にも同じ空間に居合わせていたそうだ。そのことも死というテーマに2人で取り組む必然性を感じさせた。「伏線回収」と望美さんは笑う。

筆者はそんな2人の話を聞いて、死がテーマとあるだけにどこか悲劇的でエモーショナルなエピソードを求めていた自分自身に気づく。死は生と地続きのライフイベントであって、特別なことではないのだ。

Deathフェスの実現に向けて2人が意気投合したのが2023年2月。そこからは早かった。4月14日を“よい死の日”と設定し、渋谷でフェスを開催するということだけを決め、NPO法人ETIC.が運営する越境プロジェクト「Beyonders(ビヨンダーズ)」に応募、採択される。そこで共感する仲間を集めると、さらに公募プログラム「QWSチャレンジ」採択へ。クラウドファンディングを経て、念願のDeathフェス開催まで漕ぎ着けた。

■ユーザーとの対話が鍵になる

Deathフェスには協賛企業として5社が名を連ねたが、スポンサー探しは最初から順風満帆なわけではなかった。ビヨンダーズでも、多くの個人プロボノの賛同を集めたのに対し、企業関係者からはそのテーマの重さからか、一切声がかからなかった。協働を求めて足を運んだ葬送業界からは厳しい意見もあった。