カリーナED対抗のマツダ[ペルソナ]の悲哀! たった3年という短命に終わったペルソナは当時女性からどう思われていたのか?

AI要約

1988年に登場したマツダペルソナは、トヨタカリーナEDのライバルとして位置づけられたが、わずか3年で販売終了となった不遇な車種である。

ペルソナは、人の感性を大切にしたデザインと豪華な内装を特徴とし、女優のイングリッド・バーグマンをイメージして作られたモデルだった。

販売不振により、1992年に姿を消したマツダペルソナは、シガーライターや灰皿をオプションとした日本車初の試みを行った点で注目される。

カリーナED対抗のマツダ[ペルソナ]の悲哀! たった3年という短命に終わったペルソナは当時女性からどう思われていたのか?

 流麗なスタイリングで、サッシュレスの4ドアを持つピラーレスハードトップとして、一大ブームを巻き起こすほど大ヒットしたのがカリーナED。いっぽう、カリーナEDのライバルとして登場したのが1988年11月に登場したのがマツダペルソナ。しかし、3代目まで販売されたカリーナEDとは違い、たった3年で撃沈。そんな悲哀に満ちたペルソナを取り上げてみた。

文:ベストカーWeb編集部/写真:ベストカー、トヨタ、マツダ

 1985年8月に登場したトヨタカリーナED。EDは英語のExciting Dressyの略語で、コロナクーペとともに、セリカの兄弟車として登場。傾斜した前後のピラーによりクーペのような低い全高を実現。後席の居住性は快適とは言い難かったが、スタイリッシュなデザインと4ドアの利便性を両立したモデルとして大ヒットした。

 いっぽう、カリーナEDのライバルとして1988年11月に登場したのが、今回取り上げるマツダペルソナだ。カペラをベースとした4ドアピラーレスの4ドアクーペ(ハードトップ)、ペルソナは、ラウンジやリビングのソファーを思わせるリアシートが特徴だった。

 車名のペルソナ(PERSONA)はラテン語で"人、個人"を意味する。「人の感性を大切にしたい」との思いを込めて命名された。「インテリアイズム」ならびに「ビューティフル・クルージング」というキャッチフレーズの元、女優のイングリッド・バーグマンをイメージしてデザイン最優先で作られた。 

 ペルソナのスタイリングは柔らかいボディラインを基調とし、七宝を埋め込んだフロントオーナメント、凹型形状の大きなテールランプ、アーチ型のピラーラインなどが特徴。ファブリックのA仕様と本革シートのB仕様というグレードを用意し、またペルソナの姉妹車としてユーノス300も1989年10月に設定された。

 初代カリーナEDとは違い、デビュー当初を除いて販売成績は振るわず、1990年3月にエンジンをDOHC16V化(115ps)するなどのマイナーチェンジを実施したが奮わず、ユーノス300も不振をきわめた。

 1992年3月、残念ながらたった3年、一代限りで姿を消し、実質的な後継モデルとなるアンフィニMS-8やユーノス500などに道を譲ることとなった。

 パワートレインは基本的にカペラからのキャリーオーバーで、140psの2Lと97ps(後に115ps)の1.8L、直4の2種類。トランスミッションはそれぞれに5速MTと4速ATを組み合わせている。

 ペルソナは、日本車として初めて灰皿とシガーライターをオプションとしたクルマとしても話題になった。マツダが5チャンネル化で混迷していた時期と重なった不運はあるが、内外装の美の追求は今のマツダでも継承されていることからも、注目すべきクルマといえる。