女性投資家・ウルフ村田氏が明かす“戦略的思考” 「桜蔭高校で全校模試1位になった“合法的なズル”」「キャバクラで本指名せず場内指名する理由」

AI要約

東大を卒業後、銀行に就職し、30歳でキャバクラ嬢に転身してナンバーワンにのし上がった異色の経歴を持つ女性投資家のウルフ村田氏。学生時代から要領が良く、学年1位を獲得するなど頭の切れる一面を持っていた。

長銀破綻後、キャバクラで働きながら投資活動を開始。独自の戦略でエリアの系列店舗に在籍するキャバクラ嬢200人の中でナンバーワンの実績を残す。同僚や客からの信頼も厚かった。

現在もキャバクラを楽しみ、投資活動でも戦略的な思考を活かしている村田氏。その個性的な生き方が商売や投資にどのように影響を与えているのか興味深い。

女性投資家・ウルフ村田氏が明かす“戦略的思考” 「桜蔭高校で全校模試1位になった“合法的なズル”」「キャバクラで本指名せず場内指名する理由」

 東大を卒業後、銀行に就職し、30歳でキャバクラ嬢に転身してナンバーワンにのし上がったという異色の経歴を持つ女性投資家のウルフ村田氏(55、本名・村田美夏)。その歩みを本人が振り返った。

 相場の世界で「ウルフ」の異名を取る村田氏は、10代の頃から情報収集に熱心で、戦略的に動いてきたという。

「私は名古屋で生まれて5歳まで過ごし、その後は父の転勤で東京に転居しました。小学校は地元の公立に通い、中学受験をして桜蔭に進学。桜蔭といえば中高一貫の私立女子校で、毎年多数の東大合格者を輩出する進学校としても知られていますが、私は高校1年生の時の全校模試で学年1位になったことがあるんです」

 そう話す村田氏は「ただ、それにはカラクリがあるんです」と言葉を継いだ。

 村田氏はこう説明を続けた。

「私が1位になった模試というのは駿台予備校が主催する『駿台模試』。事前にそのことを知っていたので、高校1年の4月からひそかに駿台予備校に通い始めたんです。駿台の先生たちは、通っている生徒たちが駿台模試で上位を占めれば宣伝になるので、模試に活かせるような要点を教えてくれるはず。そう計算して、私は全校模試の前から駿台予備校に通い、狙い通り学年トップをとることができたわけです。級友たちは驚いていましたが、“合法的なズル”ってことで(笑)。

 そんな感じで、学生の頃から要領が良かったんです。でも、学年1位をとったことで『私って天才?』と勘違いした私は、勉強をサボるようになり、数学のテストで4点を取ってしまったこともあります。上手くいくと、すぐに調子に乗って油断するのは今でも変わっておらず、投資でもたまにそんな失敗をしてしまいます」

 その後は東京大学経済学部に入学し、卒業後の1993年には日本長期信用銀行(長銀)に就職したものの、1998年に長銀は破綻。残務処理などのために同行に残っていた村田氏は2000年3月に退職した。30歳で長銀を辞めた村田氏だったが、日本株の取引時間は9時から15時までなので、夜はやることがなくなってしまった。そこで「お酒を飲む相手には事欠かない」という理由で、キャバクラで働くことにしたという。

 来店客に大企業のサラリーマンが多く、銀座や六本木のように指名競争がそこまで激しくない田町、浜松町、新橋といったエリアの店を選ぶと、その戦略が奏功して、辞めるまでの2年間、エリアの系列店舗に在籍する計200人ほどのキャバクラ嬢の中で、ナンバーワンで居続けたという。

「私は同僚の女の子たちからも慕われていたんですよ。たとえば某企業の部長が私を『本指名』(目当てのキャバクラ嬢を最初から指名すること)してくれると、部長は若い部下たちを引き連れてくるので、部下たちには他の女の子を『場内指名』(フリー客が席に着いてから指名すること)してもらうんです。

 キャバクラ嬢というのは指名が入ってナンボの世界ですが、あまりガツガツしていないアルバイトの女の子たちも私のテーブルに呼ばれてバンバン場内指名が入ったので、私は彼女たちからも大人気。営業時間が終わった後は、同僚の女の子たちを引き連れてよく居酒屋に飲みに行ってましたね。

 今でも私はキャバクラが好きで、客として行くことがあるのですが、待機席に溜まっている女の子たちがいたら『全員来て』と場内指名してしまうんですよ。特定の子を本指名してしまうと、次回からも本指名しないと波風が立つから場内指名をするようにしています。最近のキャバクラ嬢の中には株をやっている子も結構いて、たまに『ウルフさんのファンです』と言ってもらえることもあるので、そういう時は嬉しいですね」

 こうした村田氏の“戦略的な思考”が、今の投資の世界にも存分に活かされているのだろう。