トヨタ「セラ」を30台乗り継いで…激レア「アムラックス」仕様を10年かけてフルレストア! 中学生の頃から集めた純正パーツが活かされています

AI要約

トヨタがバブル末期に発売した「セラ」は、スーパーカー風のデザインとガルウィングドアを持つ独自のクーペだった。

1980年代末から1990年代初頭にかけて、日本の自動車メーカーがスポーツカーや高性能車を次々と発表した中、トヨタはセラを通じて異色の車を送り出した。

セラのファンである水口さんは、30台以上のセラを乗り継ぎ、アムラックスでレストアしたガルウィングドアの限定車を完成させた。

トヨタ「セラ」を30台乗り継いで…激レア「アムラックス」仕様を10年かけてフルレストア! 中学生の頃から集めた純正パーツが活かされています

バブル末期にトヨタが発売した「セラ」は大衆車でありながらスーパーカーさながらのグラストップのバタフライドアを採用し、当時の公式カタログでは「ガルウイング」を強調。未来を感じさせる唯一無二の個性を放つモデルでした。そんなセラを長年にわたり愛し続け、乗り継いだ台数およそ30台という水口さんは、いまや知る人も少ない池袋「アムラックス(AMLUX)」の限定車を10年がかりでレストアし、先日やっと完成させました。幻のセラの全貌を紹介します。

日産R32「スカイラインGT-R」にZ32「フェアレディZ」、ホンダ「NSX」に「ビート」、マツダでは「ユーノス ロードスター」に「アンフィニRX-7」、三菱「GTO」にスズキ「カプチーノ」……。1980年代末から1990年代初頭にかけてデビューした国産車たちを羅列すると、今なお高い人気と知名度を誇るそうそうたるスポーツカーや高性能GTが居並ぶ。好景気に後押しされたこのバブル期、国産車は質・量ともにまさにヴィンテージ・イヤーを迎えつつあった。

多くのメーカーから意欲的な新型車が次々にリリースされたこの時代、もちろん話題となったのはスポーツカーや高性能GTばかりではない。業界の巨人トヨタは豪奢なGT、2代目「ソアラ」をイメージ・リーダーとして、「マークII三兄弟」で不動の「ハイソカー帝国」を創り出し、メルセデス、アウディ、BMWなどのドイツ勢と覇を競っていた。そんなトヨタがこの時期に送り出した「変化球」のひとつが、トヨタ「セラ」だ。

セラの成り立ちを簡便に述べるならば「トヨタのロワー・エンドを担う大衆車スターレットのコンポーネンツを使って仕立てた、このクラスでは他に例を見ない“ガルウイング”ドアを備えた若々しいデザインのクーペ」といったところか。

1987年の第27回東京モーターショーに「AVX-II」の名でプロトタイプが展示された後、1990年に市販されたセラ。トヨタ自身が「ニューライフコンセプトビークル」と呼んでいたように、これはスポーツカーや硬派なGTではなく、あくまでもこのクラスにしてガルウィング・ドアを採用した話題性と意外性、そのデザインと雰囲気を楽しむ小さなプロムナードカーとしての位置付けだ。ある意味、この時代の日本でしか産まれ得なかったジャンルのクルマと言えるかもしれない。そんな唯一無二の存在であるトヨタ セラに、少年時代からどっぷりハマり込んできたのが、こちらのセラのオーナーである水口 雪さんだ。

「セラがデビューした頃は自分はまだ中学生でしたが、その登場には大きな衝撃を受けました。それ以来ずっとセラが好きです」

と語る水口さん。少年時代に強い印象を受けたクルマをずっと好きでい続けるということは、われわれクルマ好きにとっては珍しいことではないが、水口さんの場合はそれが徹底している。

「もちろん中学生だから免許もないし実車を買うこともできませんから、お小遣いを貯めてはディーラーでセラの純正パーツを買いまくっていました。なので免許を取る頃には、かなりの数のパーツをストックしている状態でした」

そんな水口さんが18歳で免許を取って初めて買ったクルマはもちろんセラ。それ以来、何台ものセラを乗り継いできたという。